進化の方向へ

ぼくは家を買うということに関して強い抵抗があるんですが、それは土地の状態は変動していくからです。

 

 

都内一等地と言われる所は比較的安定した土地なのでしょうが、それでも変動を感じます。

 

 

日本は地震が多いということもあるのでしょう、磁場の変動が大きい土地柄だと感じます。

 

 

実際に都内を歩いていても、ここに住みたいなとドンピシャで感じる場所はないです。

 

不動産の方なども、自分なら都内で家は買わないという方が多いです。

 

 

これからの時代は、不動産ではなく「移動産」の方がリスクが少ないのではないかと考えています。せっせと貯蓄して家を買ったと思ったら地震で灰塵に帰したということは充分ありえます。

 

 

「移動産」、移動型の住居が理想的ですが、ぼくが考えているのは、将来的に世界各所に何箇所か土地を持ち、関係者、縁がある方はそれらを自由に使うことができるというものです。

 

 

モデルとしては、スコットランドのフィンドホーンのような感じかなと思っているんですが、まだ行ったことがないので一度行ってみようと思います。

 

 

まだまだ、色んな場所を見ておく必要がありますね。

 

 

 

某新興宗教はデリー郊外はじめ、世界各地にでかい施設を建てていると聞きましたが、でかい宗教施設を造るくらいなら、色んな人が自由に使えて進化に繋がっていくようなものがいいですね。

 

 

 

それぞれが、小さな街のような感じで、作物も育てることができ、学校などもあり、医療施設などもしっかりあり、地面はボコボコだったり非線形が基本の空間で、生活するだけで身体性が高まっていく空間を想定しています。

 

 

 

亡くなった芸術家の荒川修作は、そんな街を造るプランがあったようです。

 

身体と場を読む

今日は早朝、マルタ島(malta)からシチリア島(sicily)にフェリーで来ました。

 

 

こういう仕事をしているからというのもあると思いますが、旅をしていて、その場の感じや人の様子を観察するのが好きです。

 

 

今日着いたカターニア(catania)は、90年代まではマフィアの抗争で有名だったこともあり、そう行った名残は街の中にも感じられる所がありますが、エトナ山を有する街でもあります。

 

 

宿からエトナ山に向かって坂を歩いていくと、身体が芯から熱くなり、火山のエネルギーを感じることができます。

 

 

これは湯河原や箱根、インドの聖地であるハリドワールを歩いている時の感覚に近いと感じました。

 

 

縄文時代、縄文人たちが集中して住んでいたエリアは、八ヶ岳周辺だったり、岩木山周辺、富士山周辺だったといいます。昔の人たちは本能的に火山のエネルギーを肌に感じて生きていたのでしょう。

 

 

縄文時代後期の気象変化で、火山が次々噴火し、縄文時代は終わったという話があります。

 

 

今も昔の生活様式を残している人たちは、地震や津波の前にはそれを察知して避難するようです。インドのアンダマン諸島に住んでいる民族は、津波が来るのを事前に察知し、他のエリアは被害が大きかったにも関わらず、被害はほぼゼロだったようです。

 

 

ぼくの周りにも、地震前に頭痛する人は結構いて、地震が大嫌いな人に雇ってもらうといいと冗談で言うことがありますが、ぼくも大きい地震前はソワソワしたり、気分が沈んだりします。

 

 

カターニアの人たちは下丹田と喉が強く、声は大きいし動きがダイナミックです。

 

 

全身使って生きている感じがあり、場の存在感が広いと感じます。

 

 

自分たちが表情豊かに生活しているせいか、他人の感情変化にも鋭いんでしょうね。

 

 

特にインド辺りにいくと感じるのが、普段日本にいてあまり感情を表現していないということです。いつも、海外から日本に戻ると鬱々とした感じや、抑圧の感覚を感じるのですが、それは自分が日本にいて決まった感情しか使っていないからかもしれません。

 

 

 

すぐに戻る

施術では、その場で可動を上げたり、症状を変えたりする方法はいくらでもあるんですが、制限を生むことになった元と思われるものに対して調整を加えなければ、数分で元に戻ることもあります。

 

 

まず端的に、こんな風に変化しますよというのを見せるんですが、脳が正常でなければまたすぐに身体を弱化する物質が分泌されたり、ある特定の感情に反応するパターンが変化していない場合、また同じ箇所に症状や痛みが生じたりします。

 

 

状態次第で、大体このくらいは必要ですということを伝えるんですが、まず5回受けてもらって全く変化がなかったという方はいません。

 

 

難病奇病の方も来ますが、5回は騙されたと思って来るといいですよということをお伝えしています。

マルタで素っ裸

これはマルタのカジノに行ってスッたという話ではありません。

 

 

最近は、海外に出るときは視察旅行も兼ねているので、今回はマルタ島でスウェディッシュマッサージを受けることにしました。

 

 

スウェディッシュマッサージはまだまだ日本での認知は低いですが、ヨーロッパでは割と主流の施術方法で、グイグイ押したりせずに、組織に抵抗の生じないくらいの刺激で調整を加えていくもののようです。

 

 

今日は宗教的な祭りがあり、セントジュリアンという地区に移ってきたのですが、宿のすぐ側にあったので入ってみました。

 

 

黒人の女性とアジア系の女性2人の3人でやっているようでした。

 

 

ドアを開けると線の細いアジア系の女性が案内してくれました。

 

 

施術室の中に入ると、急に素っ裸になるよう指示されました。

 

 

出会い頭に全裸になれと指示されたのは初めてでした、、

 

 

話し始めると、マルタではマッサージを始めて8ヶ月とのこと、友人2人と仕事しているということ、マレーシアのクランから来た中国人だということがわかりました。

 

 

部屋がちょっと冷えているせいか、このお姉さんの手がちょっと冷たいからか判断しずらかったのですが、からだの奥の方がこわばっている感じがありました。

 

 

お姉さんの手自体は中立的で、エネルギーの交流は余り感じない手でした。

 

 

手は過干渉より中立的なのがよく、エネルギーの交流は活発であることがそのままいいわけではありません。

 

 

触られている手からは、まだ解剖学的に身体をしっかり把握できていない感覚が伝わって来たり、自分の女性性をどう扱っていいか試行錯誤している感覚が伝わって来たりしました。

 

 

触られた瞬間に感じましたが、技術も手もまだ途上という感じを受けました。

 

 

施術は30分受けました。一通り受けた後は身体の表面は軽い感じがありましたが、やはり身体は冷えています。

 

 

 

宿に帰って神の手に背中をさすって頂き、夕飯を食べて散歩したら、マッサージを受けたより元気になりました。

 

 

 

うちに施術を受けに来る方で時々、

 

 

「エステに行ってから頭が痛い、だるい、身体が痛い」

 

 

「マッサージを受けたら重だるい、何か背負っているようです」

 

 

という方がいて、エネルギーは多い方から少ない方に流れたり、感情エネルギーは、術者が個人的な悩みや心配事を一方的に発散する時、受け手に影響を与えることがあります。

 

 

ぼくは、施術を受けるときは完全に受け身になりたいので、よっぽど手がいい人でないと身体が拒絶します。

 

 

今回のお姉さんはそんな嫌な感じはなかったのですが、感知しづらい所の影響はあったかもしれません。どこかしら潜在意識が拒絶していたり。

 

 

それか、部屋の温度か。

 

 

好転反応とは別に、やってもらっている時は気持ちいいけど後で何だかだるさが来るということもあります。

 

 

わがままボディですね。普段は身体の警戒レベルを高める仕事ですが、施術を色々受けるというのも勉強になります。

 

 

 

偏頭痛増加中

最近、ひどい偏頭痛の方が以前よりも増えました。

 

 

全ての方が、触診すると頭蓋の動きがなく、存在するはずの体液の流れがあまり感じられず、からだに活力を感じられませんでした。

 

 

脳脊髄液の流れを妨げる要因を取り除いても、そもそも脳脊髄液の存在がかなり薄く感じられるような方達です。

 

 

頭痛を誘発する食品や、電磁波の問題、睡眠の問題などもありますが、水分が不足していたり運動が極端に足りていないと、体液の循環を取り戻すことは難しく、施術の効果も本来よりも出にくいです。

 

 

極端に頭蓋の動きに制限があり、液の反応が悪い方は長期戦になりがちですが、一生頭痛薬を飲み続けるよりずっといいでしょう。

 

 

水分をまめにとって適度に運動している方はかなり反応がよく、症状もすんなり消えることが多いです。

 

 

自由が丘の整体やカイロプラクティックに数年通い、変化が感じられなかったといって最近見るようになった方は、全身ガチガチで筋張っていましたが、アルコールを飲んだ後に水分をしっかり摂ってもらい、腰割り(スクワットのようなもの)と歩く時間を増やして頂いたら格段に施術の効果が出やすくなりました。

 

 

 

その場で症状や痛みが抜けても、普段の生活に変化がなければぶり返すことはよくあります。

 

 

この方は、先週で5回目でしたが、上記のことを意識的にすることで、最初の訴えだった腰の張りや後頭部の不快感、疲労感はほとんどなくなりました。

 

 

施術は飽くまでサポートだということを再認識させられました。

地上に楽園を

個人的に割と楽しみを共有するということは好きで、色々シェアすることが好きです。

 

 

施術は人間を探求することが面白く、発見を身近で縁のある、感覚を共有できる人とシェアするのが楽しいです。

 

 

複数のメンバーでやっていくのにはそういった意味合いもあるんですが、筋が良くて縁もある人たちにはもっと充実して、いくつかの可能性に開いていって欲しいというのもあります。

 

 

野口整体の創始者、野口晴哉は圧倒的な能力を持っていたので、野口晴哉に施術を受ける人達は野口晴哉に依存することになってしまい、野口晴哉はそれが嫌になり自律的な運動の方に向かったようです。

 

 

施術は、身体がより楽になるきっかけを与えるだけ、方向を提示するというのが理想で、施術者が強い力でぐいっと引っ張ると、受け手は自分が引っ張られればいいだけだと勘違いするようになり、施術に依存するようになります。

 

 

そうなると術者にも負担がかかるようになりますから、やっていて嫌気がさすのでしょう。

 

 

施術で楽になって頂くのはもちろん重要で、施術という媒体を使う場合はその探求は不可欠ですが、そこにいるだけで楽になり施術が要らなくなるような、よりそれぞれの可能性に拓かれて生活できる空間を造るというのが自分の目標だなと、マルタに滞在していて改めて感じました。

 

 

ワードプレスの管理画面に入れなくなったのでマルタの写真をアップできませんが、帰国してからでもアップしようと思います。

 

 

今日は趣のある旧市街バレッタに移り、明日はマルタからシチリア島へ行こうと思っているんですが、マルタは明日木曜日祝日で祭のようです。

マルタ島に来て

今マルタ島に着いて3日目になるんですが、身体の調子がかなりいいです。

 

 

いつも日本を(首都圏を?)出るだけで身体は楽になりますが、今はパッと目覚められるし、身体が軽いし、喉も目も楽で、普段どれだけの内的外的ストレスが身体にかかっているんだろうと思いました。

 

 

泊まっている宿でいつもやる基本功を行ったり、エネルギーを感じるモードに切り替えると、とてもエネルギーが濃くて、それも身体にしっかり馴染んで循環するエネルギーだということを感じます。

 

 

人の手がついていない自然のエネルギーは、強すぎて現代人の身体には馴染まずに、逆に疲れてしまうこともあります。

 

 

去年ネパールに行って帰った時は、すぐに家を引っ越したくなりました。

 

 

ネパールも非常に場のいい所が多かったので、身体の感覚がかなり変化しました。

 

 

マルタ島ではまだあまりリラクゼーションや整体、マッサージを見かけていませんが、こんないい場所でいいものを食べて、自分のペースで働いていたら身体はそんなおかしいことにはならないだろうと感じます。

 

 

逆に、日本の首都圏でくたびれるように働き、栄養の少ないものを食べ、化学物質や放射能を身体に取り込みながら生活し、身体に何のメンテナンスもしていないというのはかなりやばいということを再認識しました。

 

 

そういった状況だから、色々な施術方法が生まれてくるということも言えるかもしれません。

 

 

これから日本は、そういった悪環境に身体が適応するような方法を身に付けた人間のみが生き延び、悪環境に適応できなかった人間は突然死したり病気になったりというような二極化が起こるのかもしれません。

 

 

また、既に増えているように感じますが、感覚が敏感すぎて首都圏では暮らせない人たちは、より住みやすい環境を求めて移動を始めるでしょう。

 

それはスピリチュアルなのか

スピリチュアル系の言説では「「現実世界」「幻想世界」「三次元」などという言い方があり、「三次元」はこの現実世界(あるいはこの幻想世界)を指す場合が多いようです。

 

 

これらの言説で注意しなければならないのは、「幻想だと気付いている自分は他より優れている」というように認識し、現実世界の点数や偏差値のような優劣を付けることに陥ってしまうことです。これは、「幻想だと気付いている」ことにはならなくなります。何故ならこの言葉が指す「幻想」の中で機能している物事の優劣を持ち込んでいるからです。

 

 

「気付き」ということがその気付きの対象に関して、自由の間隙を作るものならばそう言えると思います。

 

 

そういった意味で、色々なものを数値化する傾向にある「スピリチュアル」な言説があるとしたら、それはスピリチュアル的ではなくかなり「現実的」な考えです。

 

 

スピリチュアル系や求道的なことが好きな人でも、ほとんどがこの事態に陥りやすいと感じます。

 

 

インド哲学の「究極」は、釈迦の時代でも神人合一「梵我一如」とされてきましたが、それは神と合一した陶酔状態を至高とするもので、経験するのはいいと思いますが、これも「幻想世界」で催眠状態になることと変わりません。

 

 

インドの伝統的修行の多くが、神との合一による陶酔状態を目的にし、それに疑問を持つ何人かが「それは至高ではない」と看破しています。

 

 

全てが生じる、現象の手前の世界は「沈黙」のみがあるようです。「沈黙」に到りその波動を感じるだけにし、陶酔を止めよと説いたインド聖者がいました。

 

 

沈黙に身を置くことで、そこから全てが生じる瞬間を視ることができるのではないかと思っています。

 

 

世界を多次元的に階層分けするとして、「三次元」より「四次元」が優れているわけではなく、「四次元」より「五次元」が洗練されているわけでもないでしょう。

 

 

それぞれの世界でしっかり経験することがあるから、そこに存在していると思います。

 

 

今存在している次元をしっかり経験しきることができなければ、違う次元に存在しても経験しきることは出来ないはずです。

 

 

より高いエネルギーを求める人たちも、ブランド品の代わりにエネルギーを求めることにしただけで、構造が変わっていません。霊能力や特殊能力を崇めるのも、偏差値教育と変わりがなく「現実世界」の構造から抜け出していないと言えるでしょう。

 

 

生まれてから染み付いた「社会性」に目を向けると、自分の矛盾に気付くことがあると思います。

 

「普段の自分を出したら社会では通じない」「自分のペースで動いたら会社ではやっていけない」

 

 

こういった問いが出た時、本当にそれは問題になるのか問いかけてみるといいでしょう。

 

 

そして、無駄を削ぎ落としていくことで循環が変わり、人間関係や物の巡りも変わり、自分の意識がフォーカスしている次元をしっかり生きることができると思います。

 

 

施術で良くなる?

施術を受けに来る方たちは術者の「格」に応じて来るから、テクニックを覚えるというよりは、「格」が変わる体験が多いほど、しっかり施術で変化が起こるのではないかということを最近考えます。

 

 

テクニックで「格」が変わることもあるでしょうが、この世界に入った時点でしっかりした「格」があれば、それだけで施術の効果は出せるのではないかということです。

 

 

ある程度まで、基本的なことをしっかり覚えることは重要ですが、覚えていく経験に格が付いていっていることがもっと重要だと思うのです。

 

「風格がある」「格が違う」

 

というような格ですが、ポリシーや自負、経験、、その人の総合的に持つ情報が格を作っていると言えるでしょう。

 

 

いく先々で、

 

「どうしたらそんな隠れた達人に会えるのか?」

 

 

という位、中々普通は会えない方にばかり会える人もいます。

 

 

元々その人が持っている情報、縁などもあるでしょうが、ある程度「格」がしっかり付いていなければ会うことはできないでしょう。

 

 

では、どうやって格を付けていくかということですが、自分のしていることに自負を持つことから始まると思っています。

 

 

「自信」というのは脆いし、当てにならないもので、「自負」というのはやっていることの手応えや、それを裏付けする経験などから来るものと言えるでしょうか。

 

 

個人的には、テクニックを身に付ける以上に、「格」を付けていきたいなというのが思いです。

 

 

 

 

受け入れているかどうか

術者に受け手の身体が開いているかどうかで結果はガラッと変わってきます。

 

 

特に、フィシオ由来のARテストを1年前くらいまではよく使っていましたが、ARテストが上手く機能しない原因の一つがこれでした。

 

 

術者としては、受け入れる準備ができていないならどうして来るんだというかもしれませんが、受け手はよくなりたいと思っていてもそういった現象はあります。

 

 

キネシオロジーをメインにしたセミナー等でも、こういった現象を扱うところは多くないと思っています。

 

 

術者に開いていない方をいくら施術しても中々効果が出ないです。

 

 

 

こういった現象を少しでも減らすために、施術前にはこちらのすることやコンセプトをある程度伝えた方がいいでしょう。

 

 

キネシオロジー検査の類を機能させるには、それらが正常に機能させるための下準備段階があり、それらをクリアしないと正常に働かないようです。

 

 

こういった現象を扱っているかチェックするだけで、その療法は本当に効果を上げているかどうか知ることができると思います。