身体と場を読む

今日は早朝、マルタ島(malta)からシチリア島(sicily)にフェリーで来ました。

 

 

こういう仕事をしているからというのもあると思いますが、旅をしていて、その場の感じや人の様子を観察するのが好きです。

 

 

今日着いたカターニア(catania)は、90年代まではマフィアの抗争で有名だったこともあり、そう行った名残は街の中にも感じられる所がありますが、エトナ山を有する街でもあります。

 

 

宿からエトナ山に向かって坂を歩いていくと、身体が芯から熱くなり、火山のエネルギーを感じることができます。

 

 

これは湯河原や箱根、インドの聖地であるハリドワールを歩いている時の感覚に近いと感じました。

 

 

縄文時代、縄文人たちが集中して住んでいたエリアは、八ヶ岳周辺だったり、岩木山周辺、富士山周辺だったといいます。昔の人たちは本能的に火山のエネルギーを肌に感じて生きていたのでしょう。

 

 

縄文時代後期の気象変化で、火山が次々噴火し、縄文時代は終わったという話があります。

 

 

今も昔の生活様式を残している人たちは、地震や津波の前にはそれを察知して避難するようです。インドのアンダマン諸島に住んでいる民族は、津波が来るのを事前に察知し、他のエリアは被害が大きかったにも関わらず、被害はほぼゼロだったようです。

 

 

ぼくの周りにも、地震前に頭痛する人は結構いて、地震が大嫌いな人に雇ってもらうといいと冗談で言うことがありますが、ぼくも大きい地震前はソワソワしたり、気分が沈んだりします。

 

 

カターニアの人たちは下丹田と喉が強く、声は大きいし動きがダイナミックです。

 

 

全身使って生きている感じがあり、場の存在感が広いと感じます。

 

 

自分たちが表情豊かに生活しているせいか、他人の感情変化にも鋭いんでしょうね。

 

 

特にインド辺りにいくと感じるのが、普段日本にいてあまり感情を表現していないということです。いつも、海外から日本に戻ると鬱々とした感じや、抑圧の感覚を感じるのですが、それは自分が日本にいて決まった感情しか使っていないからかもしれません。