身軽に

今日は朝から本を処分しました。

 

 

大きいダンボール3個分と少しを処分しました。

 

 

大きく動く前は身軽になっておくといいですね。

 

 

いつも本を捨てるときは読み込んでしまい時間がかかるのですが、今回は終わりの方から速読して、大体書いていることがわかったらもう処分です。

 

 

普段からまず後ろからささっと目を通すことが多いです。

 

 

後は、目についた箇所から読みます。

 

 

ほとんど筆者の経験から書いている本はささっと読めるので大体処分行きになります。

 

 

自分に必要がないと感じたら処分しますが、研究の集大成のような本は中々処分できませんね。

 

 

本がずっと同じ場所にあるというのは腰を重くするので、なるべく本を少なくしていつでも引っ越しできるくらい身軽にしておきたいです。

 

夜散歩

昨日は仕事が終わってから武蔵小山の清水湯に何年かぶりで行ってみました。

 

 

武蔵小山は古い界隈が残っていたんですが、駅周辺が一斉に再開発していて何だかつまらなくなってしまいました。

 

 

清水湯は改めて入ると結構狭いですね、大衆銭湯という感じです。

 

 

質が悪い湯だと頸がこわばって、質のいい湯だと身体がふわっと緩みます。

 

 

体重計に乗ってみたら、2週間前より3キロ減っていました。

 

 

どうりで痩せた?って何人かに聞かれたわけですね、最近炭水化物の量をかなり減らして魚やナッツを多めにしていました。

 

 

清水湯を出て山手線方向に向かう予定が、方向音痴なので北上して、目黒方面に歩きましたが、新旧交わる目黒区は思ったより異界ですね。

 

 

前はよく夜散歩していたんですが、久しぶりに夜散歩したので、入ってくる情報が新鮮で学生時代を思い出しました。飲み終わってから6,7キロよく歩いて帰宅してたんですが、この帰り道の感じが好きで無駄に歩いてました。

 

 

昨日は目黒まで歩いて不動前まで引き返して、電車で戻りました。

 

 

かなり脳内シャッフルできて、身体が軽くなりました。

 

 

帰りに奥沢駅のたこ焼きお兄さんと話すと色々面白い符合がありました。シャッフルされた後はこんなことがよく起こります。

 

 

創造的であるには、色んな場所の情報に触れないとダメですね。

歩きづらい日

先日はパスポートの更新に有楽町の交通会館に行きました。

 

 

地下鉄日比谷駅から交通会館まで歩いたんですが、沼地を歩いているかのように歩きづらく、交通会館まで随分長く感じました。

 

 

交通会館の建物内をちゃんと歩くのは初めてだったんですが、純喫茶やよくわからない店が結構あり、面白い雰囲気の場所ですね。

 

 

結局神奈川県在住のぼくは横浜で更新しなければならず、横浜まで行って更新になりましたが、、

 

 

横浜駅でも随分歩いてしまいました。

 

 

グルメ横丁のようになっている所まで歩いてから、携帯電話を変える必要があったのでヨドバシカメラを探しましたが、探すと中々見つからず。

 

 

随分歩くのがしんどい日でした。普段は歩くのが好きなんですが、疲れが溜まっているのか、歩いている場がよくなかったのか。

5年以内に

1年ほど前から、シリコンバレーのような、発想が形になりやすい場所が日本にもあればいいなぁと思っています。

 

 

特に、医療の革新や人類のパフォーマンス自体をアップデートしていく流れに貢献したいと思っているので、優秀で発想力がある日本の研究者が海外に流出しないためにもそういった場所があれば、日本自体にも勢いがつくでしょう。

 

 

アメリカを牽引してきた原動力の一つは間違いなくシリコンバレーです。アップルだけで一つの国くらいの資金力があります。グーグルやフェイスブックは人類のほとんどの個人情報に関連しています。

 

 

ぼく一人の力では無理だと思いますが、広大な土地がそのまま学生街のような、発想を洗練できる環境ができれば面白いことになることは間違いないです。

 

 

5年以内にはそのための資金力を作っておきたいです。

 

 

今やっていることの全てはこのちょっと大きいヴィジョンに繋がっていきます。

 

 

来月末、カナダに行きますが、この手応え次第でヴィジョンが近づくかどうか変わってくるんじゃないかなと思います。

 

 

 

人類が、自分の元々持っているスペック以上のものを発揮できるようになった時、それは次の文明の到来を意味するでしょう。

成功と貢献

仕事でどれだけ成功しているかということは、自分の仕事でどれだけ社会貢献できているかと限りなく同じだと思っています。

 

ご飯屋なら、どれだけ身体を作る栄養を届けられるか、腹を満たすことができるかが最低限、旨いご飯で幸福を感じさせることができるか。

 

 

ぼくのような仕事だと、どれだけ多くの人に楽になってもらうかどうかということだと思います。

 

 

脳梗塞の後遺症などは致命的なもので、働けなくなるどころか生活もままならなくなる方もいるので、それが楽になったら貢献度としては高いことです。

 

 

まだまだ貢献度を上げていきたいですが、日々、自分の技術に磨きをかけるのは当然のこととして、今導入したい医療機器が導入できたらどの貢献度は一気に跳ね上がると思っています。

 

散歩の効用

昨日は午前中家から多摩川沿まで歩きました。

 

 

本当は奥沢まで行きたかったんですが、下野毛から等々力に走っている道は人が歩けないことを知りませんでした。

 

 

元住吉に住んで丸々6年になりますが、武蔵小杉へ行く方向と外れるとまだ行ったことがないエリアが結構ありますね。

 

 

歩行により骨盤を始めとした骨格、脳の状態が随分変化したと思うので、人類を人類たらしめたのは歩行だといえるでしょう。

 

 

歩行は人類の基本動作だといえます。

 

 

それもあり、歩行にはまだまだ知られていない秘密があると思います。

 

 

色々行き詰まった時は基本に戻るということは色んなことの鉄則だと思いますが、仕事の動きが悪かったり状況に動きが出にくいと感じる時は目的なくひたすら歩くということをお勧めします。

 

 

歩いていると歩く距離以外に何かが進むんでしょう。

 

 

大体2時間くらい歩いていると、思考に無駄な動きがなくなり、初期化され、何か開ける感覚が出てきます。

 

 

何が開けるのかはわかりませんが、この何か開けた感覚の後は、新規の予約やしばらくみなかった方から連絡があったり、新しい縁ができやすくなったりします。

 

 

自分なりに考えると、色んなところを歩くと色んな場所や人の情報をキャッチすることになるので、その情報と親和性のある人と繋がりやすい状態ができるんじゃないかと思います。

 

 

つまり情報が媒介になるということですが、実際にどこか行った後に人と話していると、

 

 

「偶然ですね、私も先週そこに行ったんです」

 

 

という話になることが結構あります。

 

 

人間、全く属する世界が違う人と会うということは中々ないので、何が属する世界に共通のファクターをつくるかというと、普段浴びている情報だと思います。

 

 

飲んでいる水や、その土地の空気で随分属する世界が違うんじゃないかと感じます。

 

 

池袋に住んでいる人は大体あんな感じの人、三軒茶屋や笹塚に住んでいる人はあんな感じの人というイメージがそれぞれあるでしょう。

 

 

それは、そこに属する人が纏う気配というものがあるからだと思います。

 

 

人間は普段生活しているだけで呼吸したり食べたり、外界とのやりとりで常に化学反応を起こしていますから、普段と全く違う環境に行くというのはかなり動的に自分の身体や意識の構成因子を変えることになります。

 

 

なるべくいい場所を歩きたいですが、普段歩かないような新鮮な場所ならいいですね。

 

 

手っ取り早いのは海外に高飛びですが、最近中々飛べないですね。

 

写真好きですか?

ぼくは写真が苦手ですが、カメラというものは時空を超えたものや視えないものを介在する性質を持っていると感じます。

 

 

実物よりやけに若く映ったり、老けて映ったり、別人のように映ったり、、実物を見てもそういったようには見えないのに、写真だと違う気配があったり。

 

 

写真を撮るたびに何か写り込んでしまう人なんかいますが、その人の意識によって対象の写り方が変わるので、同じ富士山の写真でも撮る人によって、見るだけで身体が熱くなったり、背筋がぞぞっとしたり、様々です。

 

 

そういった、撮る側の意識を被ることになるから写真は苦手なのかもしれません。

 

 

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40歳を過ぎた必須項目はメンテナンス

ぼくは日頃の稽古や鍛錬で自分の身体をケアしていますが、日々修練もせず施術でからだの調整も受けていない同業者は相当身体がボロボロだと思います。

 

 

月1で施術を受けに来る同業者もいますが、月1でボロボロですから。隔週で来れれば丁度いいんだけれどなんて言っています。

 

 

ぼくも本当は定期的に施術を受けたいところなんですが、わがままボディで(笑)中々任せられる人がいないので、修練の他には意識的に自然に行くようにしています。

 

 

自動車なんかでも、メンテナンスせずに20年も乗れないと思います。

 

 

テレビでも、丁寧に使えばずっと使えるかもしれませんが、中々30,40年使えるテレビというのはないでしょう。

 

 

もっと複雑で、微細な恒常性を持つ人間の身体となると、日々修練も施術などのメンテナンスもせずに40,50年も使えるというのはほんのごく一部だと思います。

 

 

ストレスフリーで、呼吸が深いような方はメンテナンスもいらないでしょうが、そうでなければ年とともに内臓は疲れやすくなり、新陳は機能低下し、排毒機能が下がり、、

 

 

これは当たり前の自然の摂理です。

 

 

ぼくも、今は日々の修練でいいですが、40歳を過ぎたら定期的に身体を任せられる人を見つけたいです。

 

 

昔は50歳まで生きている人というのは平均より寿命が長い人でしたから、40歳を過ぎて全くメンテナンスしないというのは危ういと思うので、ストレスフリーで生活している稀な日本人以外は何かしらした方がいいと思います。

 

 

日々メンテナンスしていた方が仕事の効率もかなり違いますしね。

 

 

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努力って必要?

自分はこれだけやってきた。これだけコストをかけてやってきた。

 

 

ということを強調する人がどの世界でもいますが、

 

 

それはその業界の一流ということはできるかもしれません。

 

 

ただ、

 

「超絶一流」

 

「神」

 

の方々と話すと、やはり

 

 

「努力はしてないよー」

 

 

ということを言うんですよね。

 

 

 

修得する過程を楽しんでやってきたし、苦じゃなかった

 

 

ということを話すんです。

 

 

ぼくも楽しくなければ全くできないタイプなので、

 

 

「こうしなければならないんだ」

 

 

「我慢してやる必要がある」

 

 

というタイプとは相容れないと感じます。

 

 

楽しくなければ、なんでやるのか

 

 

と思うからです。

 

 

このタイプに何かを教えられる場合は、自分と同じ過程を強要してくることが多いので、楽しむタイプの人は注意が必要ですね。

 

 

料理人や伝統物の職人なんかには多いかもしれません。

 

 

楽しさを感じなくなったものをしばらく様子見で続けたこともありますが、経験上もうダメになります。

 

 

身体のことに関しては、あらゆる「こうでなければならない」から離れて、いかに効率よく、瞬間的に質が変わるかを考えた方が進む感じがします。

 

 

自分が相手の身体を変えるわけではないですしね。

 

 

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賢い身体

赤ちゃんというのは身体が賢いので、身体に不具合を感じると自動運動して自己調整します。

 

 

これは人間が本来持っている修復能力ですが、座りっぱなしだったりパソコンを見続けたりといった、静的で同じ動作しかしなくなるとこういった自己調整ができなくなり、不具合が固定されてしまうことになります。

 

 

こういったところに着目したのは野口晴哉の活元運動で、人間が本来持った自己修復能力を覚醒させようというものですが、これは野口整体の元ネタ、霊術では霊動ということになります。

 

 

自己修復能力を失った人は、チベット体操などのように、満遍なく伸びたり動いたりする運動を毎日するといいでしょう。

 

 

ぼくはチベット体操や四股、太極拳の基本功、なるべく逆立ちやブリッジもするようにします。

 

 

普段から満遍なく動いていれば、身体が不具合を感じた時に身体の欲求に従って自然に自己調整し、滞りからくる不具合はだいぶ回避することができるでしょう。

 

 

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