マルタ島に来て

今マルタ島に着いて3日目になるんですが、身体の調子がかなりいいです。

 

 

いつも日本を(首都圏を?)出るだけで身体は楽になりますが、今はパッと目覚められるし、身体が軽いし、喉も目も楽で、普段どれだけの内的外的ストレスが身体にかかっているんだろうと思いました。

 

 

泊まっている宿でいつもやる基本功を行ったり、エネルギーを感じるモードに切り替えると、とてもエネルギーが濃くて、それも身体にしっかり馴染んで循環するエネルギーだということを感じます。

 

 

人の手がついていない自然のエネルギーは、強すぎて現代人の身体には馴染まずに、逆に疲れてしまうこともあります。

 

 

去年ネパールに行って帰った時は、すぐに家を引っ越したくなりました。

 

 

ネパールも非常に場のいい所が多かったので、身体の感覚がかなり変化しました。

 

 

マルタ島ではまだあまりリラクゼーションや整体、マッサージを見かけていませんが、こんないい場所でいいものを食べて、自分のペースで働いていたら身体はそんなおかしいことにはならないだろうと感じます。

 

 

逆に、日本の首都圏でくたびれるように働き、栄養の少ないものを食べ、化学物質や放射能を身体に取り込みながら生活し、身体に何のメンテナンスもしていないというのはかなりやばいということを再認識しました。

 

 

そういった状況だから、色々な施術方法が生まれてくるということも言えるかもしれません。

 

 

これから日本は、そういった悪環境に身体が適応するような方法を身に付けた人間のみが生き延び、悪環境に適応できなかった人間は突然死したり病気になったりというような二極化が起こるのかもしれません。

 

 

また、既に増えているように感じますが、感覚が敏感すぎて首都圏では暮らせない人たちは、より住みやすい環境を求めて移動を始めるでしょう。

 

それはスピリチュアルなのか

スピリチュアル系の言説では「「現実世界」「幻想世界」「三次元」などという言い方があり、「三次元」はこの現実世界(あるいはこの幻想世界)を指す場合が多いようです。

 

 

これらの言説で注意しなければならないのは、「幻想だと気付いている自分は他より優れている」というように認識し、現実世界の点数や偏差値のような優劣を付けることに陥ってしまうことです。これは、「幻想だと気付いている」ことにはならなくなります。何故ならこの言葉が指す「幻想」の中で機能している物事の優劣を持ち込んでいるからです。

 

 

「気付き」ということがその気付きの対象に関して、自由の間隙を作るものならばそう言えると思います。

 

 

そういった意味で、色々なものを数値化する傾向にある「スピリチュアル」な言説があるとしたら、それはスピリチュアル的ではなくかなり「現実的」な考えです。

 

 

スピリチュアル系や求道的なことが好きな人でも、ほとんどがこの事態に陥りやすいと感じます。

 

 

インド哲学の「究極」は、釈迦の時代でも神人合一「梵我一如」とされてきましたが、それは神と合一した陶酔状態を至高とするもので、経験するのはいいと思いますが、これも「幻想世界」で催眠状態になることと変わりません。

 

 

インドの伝統的修行の多くが、神との合一による陶酔状態を目的にし、それに疑問を持つ何人かが「それは至高ではない」と看破しています。

 

 

全てが生じる、現象の手前の世界は「沈黙」のみがあるようです。「沈黙」に到りその波動を感じるだけにし、陶酔を止めよと説いたインド聖者がいました。

 

 

沈黙に身を置くことで、そこから全てが生じる瞬間を視ることができるのではないかと思っています。

 

 

世界を多次元的に階層分けするとして、「三次元」より「四次元」が優れているわけではなく、「四次元」より「五次元」が洗練されているわけでもないでしょう。

 

 

それぞれの世界でしっかり経験することがあるから、そこに存在していると思います。

 

 

今存在している次元をしっかり経験しきることができなければ、違う次元に存在しても経験しきることは出来ないはずです。

 

 

より高いエネルギーを求める人たちも、ブランド品の代わりにエネルギーを求めることにしただけで、構造が変わっていません。霊能力や特殊能力を崇めるのも、偏差値教育と変わりがなく「現実世界」の構造から抜け出していないと言えるでしょう。

 

 

生まれてから染み付いた「社会性」に目を向けると、自分の矛盾に気付くことがあると思います。

 

「普段の自分を出したら社会では通じない」「自分のペースで動いたら会社ではやっていけない」

 

 

こういった問いが出た時、本当にそれは問題になるのか問いかけてみるといいでしょう。

 

 

そして、無駄を削ぎ落としていくことで循環が変わり、人間関係や物の巡りも変わり、自分の意識がフォーカスしている次元をしっかり生きることができると思います。

 

 

施術で良くなる?

施術を受けに来る方たちは術者の「格」に応じて来るから、テクニックを覚えるというよりは、「格」が変わる体験が多いほど、しっかり施術で変化が起こるのではないかということを最近考えます。

 

 

テクニックで「格」が変わることもあるでしょうが、この世界に入った時点でしっかりした「格」があれば、それだけで施術の効果は出せるのではないかということです。

 

 

ある程度まで、基本的なことをしっかり覚えることは重要ですが、覚えていく経験に格が付いていっていることがもっと重要だと思うのです。

 

「風格がある」「格が違う」

 

というような格ですが、ポリシーや自負、経験、、その人の総合的に持つ情報が格を作っていると言えるでしょう。

 

 

いく先々で、

 

「どうしたらそんな隠れた達人に会えるのか?」

 

 

という位、中々普通は会えない方にばかり会える人もいます。

 

 

元々その人が持っている情報、縁などもあるでしょうが、ある程度「格」がしっかり付いていなければ会うことはできないでしょう。

 

 

では、どうやって格を付けていくかということですが、自分のしていることに自負を持つことから始まると思っています。

 

 

「自信」というのは脆いし、当てにならないもので、「自負」というのはやっていることの手応えや、それを裏付けする経験などから来るものと言えるでしょうか。

 

 

個人的には、テクニックを身に付ける以上に、「格」を付けていきたいなというのが思いです。

 

 

 

 

受け入れているかどうか

術者に受け手の身体が開いているかどうかで結果はガラッと変わってきます。

 

 

特に、フィシオ由来のARテストを1年前くらいまではよく使っていましたが、ARテストが上手く機能しない原因の一つがこれでした。

 

 

術者としては、受け入れる準備ができていないならどうして来るんだというかもしれませんが、受け手はよくなりたいと思っていてもそういった現象はあります。

 

 

キネシオロジーをメインにしたセミナー等でも、こういった現象を扱うところは多くないと思っています。

 

 

術者に開いていない方をいくら施術しても中々効果が出ないです。

 

 

 

こういった現象を少しでも減らすために、施術前にはこちらのすることやコンセプトをある程度伝えた方がいいでしょう。

 

 

キネシオロジー検査の類を機能させるには、それらが正常に機能させるための下準備段階があり、それらをクリアしないと正常に働かないようです。

 

 

こういった現象を扱っているかチェックするだけで、その療法は本当に効果を上げているかどうか知ることができると思います。

 

対抗癌剤の施術?

小林真央さんが亡くなったようですね。

 

 

数日前にオレンジジュースを飲んでいるという写真を見て、これはもう、、と感じてしまいました。癌がどんな状態で、どんな治療をしているか詳細は知りませんでしたが、歌舞伎関係者が色々な民間療法やら何やらを探しているという話は何人かから聞いていました(だんながモルダバイドを探しているをモルダバイドを着けている方からも聞きました)。

 

 

抗癌剤を使っている方を施術する度に思いますが、うちの施術はつくづく抗癌剤とは相性がいいと思います。

 

 

「抗癌剤はいいものも悪いものも殺すから免疫が低下し、副次的な病気に罹患しやすい」ということを認識せずに使っている方などには、その説明をすることから始まるので、使わなくなる方もいるのですが、抗癌剤を使い続ける場合、うちの施術を併用することをお勧めします。抗癌剤のみで治療していくことは、よっぽど体力があり、しっかり食べたり運動できるような方でない限りはキツイと思います。

 

 

抗癌剤を使っている方を施術して、次回に施術後の感想を聞くと、

 

「体力が戻ってきた」

 

「副作用が治まってきた」

 

「疲れにくい」

 

などという感想をいただきます。

 

 

みなさん、抗癌剤の不自然さを体感して、止める方が多いので、今うちに来ている方で抗癌剤を使っている方はいないのですが(放射線の方はいます)、抗癌剤によって起こる体力の低下、気力の減退が回復したという感想を頂くことが多いです。

 

 

これは、大きいのは体液循環をしっかりさせることからきていると感じます。

 

 

抗癌剤を使った方の体は、なんだか重くドロドロしたような感じになるのですが、脳や解毒臓器を調整し、リンパ液や脊髄液の循環を正常化することでスッキリした状態になります。

 

 

抗癌剤の副作用がしんどい方ほど、楽だという感想を頂いています。

 

 

抗癌剤止めなくてもいいですから、抗がん剤で癌を小さくしながら副作用を軽くしたいという方には是非きて欲しいと思います!

 

 

周りにそんな方がいたらご紹介下さい。

 

 

うちはメンバーも増えるので、これからモニターも受け付けていきます。

情報化社会?

普段我々が触れる情報、本やニュース、テレビや雑誌、SNSや教育、、

 

 

 

これらはからだに影響を与えるものです。

 

 

 

朝観たニュースで不安な気持ちが増幅されたとか、読んだ本の影響で気分が暗くなったとか、経験したことがあると思いますが、特にテレビやSNSなどの情報は、自分が必要としない情報も沢山入ってくるので、思わぬ影響を受けることもあります。

 

 

また、テレビはスポンサーの意向なども反映され、情報発信者のフィルターをかけられた情報で、それを受動的に取り入れるということは、洗脳される可能性ももっています。

 

 

洗脳とは仰々しいと思うかもしれませんが、外食先でテレビがついて観ると、バラエティ番組などではタレントの行ったことに対しテロップが入り、

 

 

「こういう風に解釈せよ」

 

 

と言わんばかりです。

 

 

テロップを追う受信者は、情報発信者の暗黙のルールに従って情報を受け取るようになります。

 

 

今では、バラエティ番組などの空気感に由来する「気配の読み方」「場の読み方」などが存在するように思います。

 

 

そういった独特な「気配感」を修得するにはいいのかもしれませんが、それしか知らないという人もいるかもしれませんね。

 

糸の反応を見ながら

例えば、茶器に興味がある時、誰かに「李朝の茶器専門の店があるよ」と教えてもらい、そこがもう閉店していたとしても「李朝の茶器」にピンときたり、「李朝の茶器」というものに関心が強まったりします。

 

 

 

この場合、ぼくは「この人は教えてくれたけど、店にいくタイミングじゃなかったな」

 

 

とは考えず、

 

 

「李朝の茶器というものを知った」

 

 

と捉えてこの縁に感謝します。

 

 

ぼくも周りの勘のいい人を見ていると、糸の微細振動を感じながら、糸の紡ぐネットワークを自由に行ったり来たりしています。

 

 

人生をしっかり楽しんでいる人、楽しいことを見つけてくる人というのはこういった勘が強いと感じます。

 

 

 

ぼくは、色々面白いことを教えてくれる人が周りに多いので、ピンとくるものについては特に聞くようにしています。

 

 

 

そこから予想外の絡みが出てくることがあるのです。

 

雲南省の話

ぼくはこの仕事を始める前は1年程中国の雲南省昆明にいたのですが、最初驚いたというか、衝撃だったのは、朝7時に広い運動場に行くと、小さい子供から老人までが一様に運動していたことです。

 

 

日本ではこんな大勢が朝から運動しているというのは見られない光景なので、ある意味異様なくらいでした。

 

 

走ったり、内家拳の型をやっていたり、運動部のような人たちもいました。

 

 

学生は学ランのまま走っていました。

 

 

当時、ぼくは滞在当初雲南で一番大きい沙国政武術館で形意拳をやっていて、始めて数か月は基本の五行拳を反復的にやり、他に幾つかの拳と套路(型)も3つ程習ったので朝にやっていたのですが、ある日マレーシア人の女性と歩いていた中国男性に話しかけられました。

 

 

その男性も以前沙国政武術館に通っていたことがわかり、ぼくの崩拳を見せたら「本当に数か月?凄いね」と評価してくれつつ、細かい所を修正してくれました。修正してもらうと、うまく力が抜けながら突きが走るようになり、教えるのが上手い人だと感じました。

 

 

お兄さんも套路を見せてくれたんですが、まだ修得していなかった套路で、その動きの速さに驚きました。

 

 

攻撃をよけながら相手の懐に入り込む動作が連続した部分があったのですが、その動作の速さには、見ていた周りの人達もむぅ~と驚いていました。

 

 

物理的な「速さ」というよりは、間に入られるような、実戦だったらタイミングを崩されるだろうなというような「速さ」でした。

 

 

沙国政武術館は、教えてくれていた沙国政のお孫さんが忙しくなったのと、元々やっていた陳式太極拳の興味深い?先生がいたので、そちらに行くようになり、形意拳の練習はそれ程やらなくなりましたが、陳式太極拳をやり込みました。

 

 

たまに、あの套路だけでも雲南省にまた習いに行きたいなと思うことがあります。

乳児の施術②

先週みた生後1か月のお子さんを昨日再び施術しました。

 

 

産まれてから右しか向いていなかったのが、左向きでも寝られるようになったのと、呼吸が深くなり泣き声が元気になったこと、表情が柔らかくなったなどの変化を感じて頂けました。

 

 

今回は、前回の左胸郭の制限はほとんど残っておらず、胸郭のバランスをとり、盲腸周辺の膜の緊張を解放したのと、頸椎1,2番、蝶形骨と側頭骨と後頭骨のスラテラルを解放したところで身体の制限は反応しなくなりました。

 

 

施術中しきりに大きく伸びをしていたのと、左にも寝返りを打てるようになっていたのが印象的でした。

 

 

動作がダイナミックだったり、呼吸が深くなった影響か、生命力の大きさが感じられるようになりました。

 

 

 

ご家族とも、活発でよく食べる子になりそうだなという話をしました。

 

 

 

フルフォードは、晩年乳児や幼児の施術しかしなかったのですが、乳児の施術は大人を施術するのとは違う面白さがあります。

 

 

 

からだの問題は小さいうちに解放すれば、成長してから全く違うので、乳児がいる方はどうぞ連れてきてください。

 

 

 

現場の感覚

何でもそうだと思うんですが、現場から離れると現場の感覚がなくなり、現場にいる人たちと感覚のギャップができてきて上手くいかなくなります。

 

 

臨床の現場から離れてセミナーしかやらなくなると、現場の感覚がなくなっていますから、その技術は参考になりません。

 

 

セミナーで一瞬で身体を変えるパフォーマンスと、実際に臨床で技術を使うのとではかなり違いがあります。

 

 

セミナーでは上手く行ったけど、帰って臨床で使ってみたら全く上手くいかないと言うことは経験があると思います。

 

 

セミナーでは、ある程度参加者が施術を受け慣れていたり、世界観が似ていて場の同調が起きやすかったりと言うことがあります。

 

 

臨床の仕事は特に感覚の仕事なので、ぼくももし60歳を超えても1日3、4人は施術していれば、進歩し続けるのではないかなと思います。