鉛の怖さ

鉛は画材にも含まれますが、日本人に身近なのは水道管でしょう。

 

 

鉛は水圧によって伸びたり縮んだりし、柔らかく工事しやすいため、昭和50年代までに全国の水道管が鉛になりました。

 

 

近年、水道管の劣化により水道水に大量の鉛が溶け込んでいるようです。

 

 

鉛は中枢神経に作用し、学習障害や多動症、切れやすくなるといった、精神に作用する猛毒です。

 

 

アメリカでは、学習障害児と暴力犯を調べたところ、鉛の体内含有量高かったというデータがあります。

 

 

他にも、骨に蓄積したり腎臓がんの原因、生殖障害に関係するようです。

 

 

臨床では、脳神経や解毒臓器に反応することが多いと感じます。

 

 

日本では水道のフッ素化が進んでいるようですが、フッ素は鉛の吸収を促進するようなので、どう転んでも水道水は避けた方がよさそうです。

 

 

うちで配布している怪しいデトックス図形を使ってみてもいいかもしれませんが、、

 

 

あれは中々強力で、何十枚もコピーして配っている整体師さんや、持ち歩いている方もいます。

 

 

多動だったり学習障害があったりしても、小さいうちにやるとしっかり変わります。お子さんでも頭がぱんぱんで動きが悪いお子さんが多いように感じます。

 

水銀の怖さ

帰国してまだ時間の感覚が戻らない坂下です。

 

 

これからメンバーが増えるので、次のシェアまでに電磁波や体内毒素の資料を各自作るように宿題を出してあり、ぼくも体内毒素に関する参考資料を読みだしているところです。

 

 

一般的な整体では、電磁波や体内毒素の問題は扱わないと思いますが、うちでは体内器官に滞留した毒素の問題に対処することで、正常な循環を作ることを目的の一つにしています。近々、医療的な数値、データを取ろうと考えているところです。

 

 

公害の原因にもなってきた水銀ですが、これは脳神経を侵して知覚障害、運動障害、聴覚異常、視野狭窄といった症状を生みます。

 

 

水銀は地殻にも存在するので、石炭を火力発電すると大気に拡がり、雨と一緒に土壌を汚染し、農作物を介して体内に入ったり、大気中から皮膚に入り呼吸器や循環器悪さしたりします。中国や韓国には大規模な火力発電があるので、偏西風にのって日本の大気を汚染しています。これは、pmや黄砂と共に、近年の日本における大気汚染に貢献している要素だと思います。

 

 

また、ワクチンには雑菌の繁殖を防ぐために水銀由来の薬品が使われていて、アメリカでは毎年10%ずつ増えている自閉症の原因を、乳児の時に摂取する水銀だとみています。実際、アメリカの調査機関が検査したところ、自閉症の子供は重金属を排毒する能力が弱く、水銀が原因で心臓に障害が出ていることが確認されています。

 

 

日本人が一番水銀を体内に取り込むルートが魚、特に大型の魚でしょう。

 

 

特に汚染された海まで遠く泳いでくるマグロ、サケやカツオといった大型の魚は水銀の含有量が高いです。

 

 

これは、食物連鎖の上になる程濃縮が進むからです。プランクトンを取り込んだ魚をもっと大きな魚が食べて、それを、、と繰り返すうちに、食卓に上がる頃には当初の何万倍~何百万倍の水銀を体内に取り込むことになります。

 

 

また、大型魚は長生きなので、それだけ沢山水銀を取り込んで濃縮しています。

 

 

データをみると、千葉や熊本の水俣辺りに住む方の体内水銀含有量はかなり高いことがわかりますが、現代人の頭髪を調べると水銀が検出されない人はいないようです。

 

 

公に出ている情報では、水産業に配慮してか、一般人があまり食べないサメなどを水銀含有量の高い魚に挙げていますが、マグロやサケといった人気のある大型魚が筆頭です。

 

 

臨床では、脳をチェックすると水銀、カドミウムはよく出ます。

 

 

特に、間脳辺りの重金属を排毒すると皆さん頭がかなり軽くなり、すっきりするようです。

 

 

一般的に、体内に滞留した重金属を上手く排毒する方法というの中々ないようで、うちのコンセプトの一つにしています。

 

空間コントロール?②

場、空間を読み取るという話ですが、スポーツにはゾーンという意識状態が存在します。

 

 

これは、意識の高度を極端に上げていって飽和状態になり拡散する場合と、最初から意識が拡散した状態で全体を捉えるというパターンがあると思います。

 

 

臨床では、身体の組織のある部分に意識を強く加えると、対象部位を固めてしまうこともあり、拡散した意識が奨励されます。

 

 

意識は広く空間全体を感じ、その全体の一部として身体を捉えるという感覚です。

 

 

組織を解放する時に瞬発的に強い思念を使う方法もありますが、臨床で使うチャンネルは、意識が広く空間に分散している状態がニュートラルといえます。

 

 

空間をコントロールするという場合、ぼくはその境地には至っていないので仮説になりますが、空間の隅々までフィールドを広げ、空間を自分の一部のようなものとして「テリトリー化」する感覚といえます。

 

 

空間に入り取り込まれ、完全に自分の一部になった対象者については、次にどう動くか気配でわかるようになるのでしょう。

 

 

このような状態になるには、エネルギーや磁力といった情報体だけでなく、肉体を中心に他の情報体を扱っていく経験が必要になると思います。

 

 

この世界では肉体が中心ですから、エネルギーや磁力といったものだけに偏っていくとどうしてもおかしい方向に進むようです。実際に、肉体を扱わなくなっておかしくなった方々は多いです。肉体をないがしろにし、肉体から離れるとどうしても思い込みや、想念の力だけを使った世界に入ってしまうようですね。これは、個人的にもいつも気を付けている部分です。

 

 

武術愛好者でも、思い込みの世界に入る人が多いですが、それは肉体の鍛錬を離れて、気やエネルギーの世界で万能感を感じるようになるからです。

 

 

実際、肉体を離れて何ものも存在し得ないので、何にもまして肉体というのは中心になるべきで、肉体が全ての起点といえます。

空間コントロール?

医術の世界では元々、

 

 

「診察室まで歩いてくる患者さんの足音で調子がわかる」

 

 

「声の調子でどこがおかしいかわかる」

 

 

という境地があり、武術でも

 

 

「対峙した瞬間に相手の力量がわかる」

 

 

「相手の弱点が自然に浮いてくる」

 

 

という境地があります。

 

 

これらは、場を読み取る力、空間を測る力が身についた先に存在するものです。

 

 

臨床においては、最初は触診で受け手の状態を知ることから入り、触診で皮膚感覚が身につくと、眼や皮膚の延長を介して「フィールド」に入り、対象をフィールドでトレースすることで状態を知るようになります。

 

 

頭蓋は強い電磁場で、眼は脳が外在化した器官なので、エネルギーが沢山出ているところです。そのため、眼で相手の肉体をトレースしていくと、無防備なところにはエネルギーがスーッと入っていきます。

 

 

このようなことを反復すると、今度は自分の皮膚感覚や気配を拡張していくことでその空間の状態が把握できる感覚が付いてきます。

 

 

うちに来る感覚の敏感な方は、オフィスに入った瞬間にぼくの気配、意識に入りこむ感覚があるそうです(笑)

 

 

確かに、ぼくの調子がいい時は玄関に人が入ってきた時に、人間関係で疲労しているとか、感情に上手く対処できていないんだとか、情報が伝わってきたり、次の施術の方は10分くらい遅れて来るなとか、体調が悪そうだなとか伝わって来ることがあります。

 

 

臨床を仕事にしていると、年々人や空間の情報を読み取るチャンネルが強くなっていくので、同時にしっかり肉体的な修練を怠らないようにしなければいけませんね。

 

 

 

 

古代人の感覚

シチリア島には沢山教会があります。

 

 

聖書の世界では、エデンの追放がありますが、世界各地に人類が神や天界と分離されたという話が残っています。

 

 

ぼくは、これは人類が本来持っていた神的なもの、超感覚的なものが封印されるようになったことの比喩ではないかと考えています。

 

 

今いる、シチリア島のシラクーザ(siracuza)は、アルキメデスの故郷として有名です。

 

 

アルキメデスは、風呂に入っている時、自分の身体によって風呂の水位が上がることに気付き、偽金を見分けることができることを発見しました(この時アルキメデスはエウレカと叫び、素っ裸で町中走ったと言います)。

 

 

この逸話は、日常的なものに対して意識のフォーカスが高まった状態が、風呂に入りリラックスすることで緩み、閃きが生じる(エウレカ)という話でよく引き合いに出されます。

 

 

普段、意識は仕事を中心にフォーカスを当てて生活していますが、数日仕事から離れると、普段キャッチしていなかった情報が入り始めます。

 

 

意識は、ある対象に対する強度が上げると、それに関係する情報以外はシャットアウトさします。普段、ある対象に対するフォーカスが強ければ強いほど、その反作用が生じるという風にも言えるかもしれません。

 

 

人類が元々持っていた感覚というのは、二項対立の存在しない螺旋的なものだったと思われます。スタートとゴールを決め、そのタイムを競うというのはかなり直線的な感覚だと思いますが、紀元後の人類が持つ感覚はこういったものでしょう。

 

 

どこどこに行きたいとか、こういう物を見たいというのも紀元後的な感覚で、何も見ることも、感じることもできなくなった人は、他人と目に見える共通の指標を必要とするようになりました。明日どこで誰々と会うとか、どこで何を食べるとか、人類は元々そういった意識を持っていなかったんじゃないかと思います。

 

 

目的を決めずにひたすら歩くと生じる感覚というのは、フィジカルな感覚を離れて螺旋的な意識にしばし帰還させてくれます。ここに散歩の秘伝が隠れていると思います。

 

 

螺旋的な意識は、「私はこうしたい、私はこうなりたい」という紀元後的意識よりも広範な意識で、「フィールド感覚」とでも呼べるものです。

 

 

フィールドは肉体の感覚が捉え逃している情報をキャッチしていますが、それは光速を超えるため、肉体感覚に慣れきった意識には上がらないものと思われます。不思議な体験を科学的な世界で説明することが困難なのは、科学は光より速いものを対象にしていないためです。カタカムナでは、潜象のものは速くて人間の知覚できないものだと言いますが、フィールド感覚が捉えるものは本来こういったものでしょう。

 

 

人類の感覚は、肉体の感覚の半分以上を本来はこのフィールド感覚が補完するものと考えています。

 

 

このフィールド感覚は、拡散した意識状態で鍛えられるものだと思います。

 

 

太極拳やスーフィズムのようなダンス、施術方法であればバイオダイナミクスのように、拡散した意識を使うものはこのフィールド感覚を強化し、「私」にべったり張り付いた意識をぼかしてくれる働きをしてくれるでしょう。

 

 

紀元後の人類は、例えば「あそこには公園を造ろう」といった欲求は自分の意志から生じたものと考えますが、「フィールド感覚」がある人は、この欲求がこの「私」よりもっと広いフィールドが受け取ったものだと感じる選択肢が出てきます。

 

 

エデンの追放に代表される、人間の堕落というのは、このフィールド感覚を失ったことを意味していると思います。

 

 

この感覚を失うことで、固定した直線的な陰と陽の世界に堕し、美しさにこだわる人は美しさと醜さの中で葛藤し、お金が欲しい人は豊かさに憧れて貧しさを恐るようになったんでしょう。

 

 

フィールド感覚は、自然の中、宇宙の秩序の中で自分はどんなポジションを占めるのかということをわからせるものなので、この感覚があれば自分をこういった価値の世界で判断する必要は無くなります。

 

 

フィールド感覚が乏しい人は、肉体の感覚だけで生きているので、フィールドの持つ無限、非限定、多様性に開かれた感覚が弱いために、より大きい力をうまく受け取ることができないでしょう。逆に、フィールド感覚が強い人が側にいれば、フィールド感覚が付くことがあります。誰かと会った後、運が良くなった、いい話が来た、面白い出会いがあったということを経験したことがあると思います。

 

 

紀元後の固定的で直線的な感覚というのも、人類のサイクルの中で必然的に通過していくものなのでしょうが、ここ数年確実に自分の周りでも螺旋的感覚、フィールド感覚を持った人は増えていると感じます。

進化の方向へ

ぼくは家を買うということに関して強い抵抗があるんですが、それは土地の状態は変動していくからです。

 

 

都内一等地と言われる所は比較的安定した土地なのでしょうが、それでも変動を感じます。

 

 

日本は地震が多いということもあるのでしょう、磁場の変動が大きい土地柄だと感じます。

 

 

実際に都内を歩いていても、ここに住みたいなとドンピシャで感じる場所はないです。

 

不動産の方なども、自分なら都内で家は買わないという方が多いです。

 

 

これからの時代は、不動産ではなく「移動産」の方がリスクが少ないのではないかと考えています。せっせと貯蓄して家を買ったと思ったら地震で灰塵に帰したということは充分ありえます。

 

 

「移動産」、移動型の住居が理想的ですが、ぼくが考えているのは、将来的に世界各所に何箇所か土地を持ち、関係者、縁がある方はそれらを自由に使うことができるというものです。

 

 

モデルとしては、スコットランドのフィンドホーンのような感じかなと思っているんですが、まだ行ったことがないので一度行ってみようと思います。

 

 

まだまだ、色んな場所を見ておく必要がありますね。

 

 

 

某新興宗教はデリー郊外はじめ、世界各地にでかい施設を建てていると聞きましたが、でかい宗教施設を造るくらいなら、色んな人が自由に使えて進化に繋がっていくようなものがいいですね。

 

 

 

それぞれが、小さな街のような感じで、作物も育てることができ、学校などもあり、医療施設などもしっかりあり、地面はボコボコだったり非線形が基本の空間で、生活するだけで身体性が高まっていく空間を想定しています。

 

 

 

亡くなった芸術家の荒川修作は、そんな街を造るプランがあったようです。

 

身体と場を読む

今日は早朝、マルタ島(malta)からシチリア島(sicily)にフェリーで来ました。

 

 

こういう仕事をしているからというのもあると思いますが、旅をしていて、その場の感じや人の様子を観察するのが好きです。

 

 

今日着いたカターニア(catania)は、90年代まではマフィアの抗争で有名だったこともあり、そう行った名残は街の中にも感じられる所がありますが、エトナ山を有する街でもあります。

 

 

宿からエトナ山に向かって坂を歩いていくと、身体が芯から熱くなり、火山のエネルギーを感じることができます。

 

 

これは湯河原や箱根、インドの聖地であるハリドワールを歩いている時の感覚に近いと感じました。

 

 

縄文時代、縄文人たちが集中して住んでいたエリアは、八ヶ岳周辺だったり、岩木山周辺、富士山周辺だったといいます。昔の人たちは本能的に火山のエネルギーを肌に感じて生きていたのでしょう。

 

 

縄文時代後期の気象変化で、火山が次々噴火し、縄文時代は終わったという話があります。

 

 

今も昔の生活様式を残している人たちは、地震や津波の前にはそれを察知して避難するようです。インドのアンダマン諸島に住んでいる民族は、津波が来るのを事前に察知し、他のエリアは被害が大きかったにも関わらず、被害はほぼゼロだったようです。

 

 

ぼくの周りにも、地震前に頭痛する人は結構いて、地震が大嫌いな人に雇ってもらうといいと冗談で言うことがありますが、ぼくも大きい地震前はソワソワしたり、気分が沈んだりします。

 

 

カターニアの人たちは下丹田と喉が強く、声は大きいし動きがダイナミックです。

 

 

全身使って生きている感じがあり、場の存在感が広いと感じます。

 

 

自分たちが表情豊かに生活しているせいか、他人の感情変化にも鋭いんでしょうね。

 

 

特にインド辺りにいくと感じるのが、普段日本にいてあまり感情を表現していないということです。いつも、海外から日本に戻ると鬱々とした感じや、抑圧の感覚を感じるのですが、それは自分が日本にいて決まった感情しか使っていないからかもしれません。

 

 

 

すぐに戻る

施術では、その場で可動を上げたり、症状を変えたりする方法はいくらでもあるんですが、制限を生むことになった元と思われるものに対して調整を加えなければ、数分で元に戻ることもあります。

 

 

まず端的に、こんな風に変化しますよというのを見せるんですが、脳が正常でなければまたすぐに身体を弱化する物質が分泌されたり、ある特定の感情に反応するパターンが変化していない場合、また同じ箇所に症状や痛みが生じたりします。

 

 

状態次第で、大体このくらいは必要ですということを伝えるんですが、まず5回受けてもらって全く変化がなかったという方はいません。

 

 

難病奇病の方も来ますが、5回は騙されたと思って来るといいですよということをお伝えしています。

マルタで素っ裸

これはマルタのカジノに行ってスッたという話ではありません。

 

 

最近は、海外に出るときは視察旅行も兼ねているので、今回はマルタ島でスウェディッシュマッサージを受けることにしました。

 

 

スウェディッシュマッサージはまだまだ日本での認知は低いですが、ヨーロッパでは割と主流の施術方法で、グイグイ押したりせずに、組織に抵抗の生じないくらいの刺激で調整を加えていくもののようです。

 

 

今日は宗教的な祭りがあり、セントジュリアンという地区に移ってきたのですが、宿のすぐ側にあったので入ってみました。

 

 

黒人の女性とアジア系の女性2人の3人でやっているようでした。

 

 

ドアを開けると線の細いアジア系の女性が案内してくれました。

 

 

施術室の中に入ると、急に素っ裸になるよう指示されました。

 

 

出会い頭に全裸になれと指示されたのは初めてでした、、

 

 

話し始めると、マルタではマッサージを始めて8ヶ月とのこと、友人2人と仕事しているということ、マレーシアのクランから来た中国人だということがわかりました。

 

 

部屋がちょっと冷えているせいか、このお姉さんの手がちょっと冷たいからか判断しずらかったのですが、からだの奥の方がこわばっている感じがありました。

 

 

お姉さんの手自体は中立的で、エネルギーの交流は余り感じない手でした。

 

 

手は過干渉より中立的なのがよく、エネルギーの交流は活発であることがそのままいいわけではありません。

 

 

触られている手からは、まだ解剖学的に身体をしっかり把握できていない感覚が伝わって来たり、自分の女性性をどう扱っていいか試行錯誤している感覚が伝わって来たりしました。

 

 

触られた瞬間に感じましたが、技術も手もまだ途上という感じを受けました。

 

 

施術は30分受けました。一通り受けた後は身体の表面は軽い感じがありましたが、やはり身体は冷えています。

 

 

 

宿に帰って神の手に背中をさすって頂き、夕飯を食べて散歩したら、マッサージを受けたより元気になりました。

 

 

 

うちに施術を受けに来る方で時々、

 

 

「エステに行ってから頭が痛い、だるい、身体が痛い」

 

 

「マッサージを受けたら重だるい、何か背負っているようです」

 

 

という方がいて、エネルギーは多い方から少ない方に流れたり、感情エネルギーは、術者が個人的な悩みや心配事を一方的に発散する時、受け手に影響を与えることがあります。

 

 

ぼくは、施術を受けるときは完全に受け身になりたいので、よっぽど手がいい人でないと身体が拒絶します。

 

 

今回のお姉さんはそんな嫌な感じはなかったのですが、感知しづらい所の影響はあったかもしれません。どこかしら潜在意識が拒絶していたり。

 

 

それか、部屋の温度か。

 

 

好転反応とは別に、やってもらっている時は気持ちいいけど後で何だかだるさが来るということもあります。

 

 

わがままボディですね。普段は身体の警戒レベルを高める仕事ですが、施術を色々受けるというのも勉強になります。

 

 

 

偏頭痛増加中

最近、ひどい偏頭痛の方が以前よりも増えました。

 

 

全ての方が、触診すると頭蓋の動きがなく、存在するはずの体液の流れがあまり感じられず、からだに活力を感じられませんでした。

 

 

脳脊髄液の流れを妨げる要因を取り除いても、そもそも脳脊髄液の存在がかなり薄く感じられるような方達です。

 

 

頭痛を誘発する食品や、電磁波の問題、睡眠の問題などもありますが、水分が不足していたり運動が極端に足りていないと、体液の循環を取り戻すことは難しく、施術の効果も本来よりも出にくいです。

 

 

極端に頭蓋の動きに制限があり、液の反応が悪い方は長期戦になりがちですが、一生頭痛薬を飲み続けるよりずっといいでしょう。

 

 

水分をまめにとって適度に運動している方はかなり反応がよく、症状もすんなり消えることが多いです。

 

 

自由が丘の整体やカイロプラクティックに数年通い、変化が感じられなかったといって最近見るようになった方は、全身ガチガチで筋張っていましたが、アルコールを飲んだ後に水分をしっかり摂ってもらい、腰割り(スクワットのようなもの)と歩く時間を増やして頂いたら格段に施術の効果が出やすくなりました。

 

 

 

その場で症状や痛みが抜けても、普段の生活に変化がなければぶり返すことはよくあります。

 

 

この方は、先週で5回目でしたが、上記のことを意識的にすることで、最初の訴えだった腰の張りや後頭部の不快感、疲労感はほとんどなくなりました。

 

 

施術は飽くまでサポートだということを再認識させられました。