最近の実験では、コンピューターアルゴリズムが示された肺癌の症例の9割を正しく診断したのに対して、人間の医師は5割程度の正答率だったという。
IBMのAIワトソンには、人類有史以来の膨大な数の症例、薬のデータを保存することができ、オンラインにすることであらゆる医療機関から日々患者のデータを拾い集め、患者だけではなくその家族や隣人の身体データ、最近のコンディションまで把握できる。
人間の医者が1人できるまでには膨大な労力と費用がかかるのに比べると、ワトソンを世界中に24時間体制でオンライン化する方が遥かに安上がりといえる。
ワトソンは腹が減った、夜勤で疲れたと愚痴を言うこともなく、医療が行き届かないような過疎地でも活躍できる。
診断も治療の判断も、将来的にはワトソンが実行することになるだろう。
そうなるともはや人間の医者が出る幕はなく、よっぽど特殊技能があるような医者、治せる医者以外はやることがなくなる。トラックの運転手が20年後沢山いても、医者の数は今より激変することが予想される。
患者の遺伝子、生化学的パターン、ホルモン代謝のデータなどインプットし、何通りもの戦略パターンからアルゴリズムが最も効率のいい方法を割り出す。
薬の処方も、体質に合うか合わないか、アレルギーまでチェックし、一切処方ミスはしない。薬剤師は確実に要らなくなる。
人間味のある対応をしてくれる医者の方がいい?
情動パターンのデータを元に、ワトソンはあなたのホルモン代謝、脳の活動、血圧などをチェックすることで、あなたがどんな言葉をかけて欲しいか、同調して欲しいのかまで正確に読み取り、人間の医者よりも適切な反応を示す。
今やAIは、バッハの曲全てを元に独創性と深みのある曲を作ることができ、それをAIが作ったと知らない人たちは手放しで称賛して感動する。
人間らしい深み、人間ならではの温かみというニュアンスを重要視する人間至上主義者でも、言われなければそれには気付かない。
ホモデウスではほとんど触れられてはいなかったと思うのが、人間の可能性を極限まで追究することで、データに還元されえない人間の領域というのは拡張していくように思う。
例えば、普段自分が行なっている施術をコンピュータサイエンスが模倣できるとして、それはずっと先のことだろうし、ヨギが行法を日々行うことで身につけるシッディ(特殊能力)や、気功の練功の末に体得される能力もコンピュータサイエンスが発達し、2040年に到達されるというAIが10兆×10兆倍の知能を持つと言われる臨界点を超えたらテクノロジーが初めてそれらを再現しようとするかもしれない。
人間の情報全てがデータに還元されるという場合、それは当然のようにしてすんなりデータに還元されうるものだからで、人間自らが高めて身に付けた能力の中にはデータに還元されえない領域が残るのではないか。例えば、気功を分析する時、現象としては熱や磁気に還元されながら、還元しえない部分が残る。それは人間の意識からのみ観測できる部分が残る対象である可能性もある。
テクノロジーが欠かせないものになってしまった人間は、身体性、スペックを高めることを止める。そういった人間にとっては絶対的予言者として出現するAIに抵抗する自由意志はなくなってしまうかもしれない。
身体性、スペックを与えられたもの以上に進化させ、高める超人的人間にとってはまだAIは道具に過ぎず、そういった人間はAIのアルゴリズムのデータに還元されえない部分が残る、と考えるのは希望的な観測だろうか?
ボディデザインラボ takeji