余計なことをしない達人

https://www.amazon.co.jp/回想の野口晴哉-ちくま文庫-の-7-3-野口-昭子/dp/448042167X/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1541981905&sr=1-3&keywords=野口晴哉

 

治療の世界で天才、達人といえば野口晴哉。

 

「念ずれば現ず」を体現していた人。

 

全てにおいて突出していて、スケールが違う。似たような人がいれば会ってみたい。

 

本書は何度か読み返していて、だいぶ前(以前のブログ?)でも取り上げたことのある本。

 

何度読んでも晴哉の気配が感じられ、英気に触発されるような感じがする。

 

早熟の天才で、若い時の晴哉略歴は以下のようなもの。

 

野口晴哉は2~9歳の時鍼灸師の叔父に預けられていた。

 

元々死期がわかったようで、晴哉が死ぬと言った人は死んだし、死にそうな人でも大丈夫といえば死ななかった。

 

2歳の頃に病気で声が出なくなっていたため、叔父夫婦に子供ができて実家に戻ると大家族の中で自分の居場所がなく、この頃から自分の内面を文章化したり、催眠術を実践したり、膨大な数の本(図書館で1日30冊分)借りて読んだりした。

 

小さい頃は人の身体と本しか見ていなかったと本人の言葉にある程。

 

小学校の同級生の女の子の歯痛をすでに催眠でとっている。

 

実家には居場所がなく、9歳の頃に自殺を考えたことがあったそう。

 

12歳、震災で瓦礫になった浅草で初めて他人に愉気(気の交流)したのがキャリアのスタート。

 

12~17歳はどこで何をしていたのか奥さんでも知らない。この頃に松本道別や桑田欣児といった霊術家との交流、修行があったとみられる。松本道別には更に元ネタがある。辿っていくと野口晴哉は神道行法の系譜につながる。

 

青梅から御嶽山まで歩いて、七代の滝や綾広の滝で修行したということ。

 

先日行ったんですが、青梅から滝までは相当な距離です。綾広の滝近くのロックガーデンで白装束を着た女性とすれ違ったとか、、

 

晴哉が滝に気合をかけると一瞬滝の音が消えたという。

 

17歳で日暮里に格安で購入した道場を開く。お化け屋敷だったのを好きなように改装したらすっかり家相がよくなり、晴哉の気合を受けるために朝早くから人が殺到した。

 

初期は気合いで調整を行い、道場では心霊術、催眠、指針術、透視術などを盛んにやった。

 

そのうち気合いは愉気になり、催眠は潜在意識の探求になり、後の実験はピタリとやらなくなった。

 

治療の腕前は凄すぎたので、晴哉の治療なしではいられない人たちが増えたためか、治療から遠ざかり、運動の指導が主になる。

 

「治療ということ、相手の身体が為す也。

それ以上巧妙に行い得るつもりになるは人間の慢心也。」

 

身体に自ら回復させることを目指していた晴哉にとっては、あらゆる治療技術は蛇足でしかなかったかもしれない。技術を沢山教えるということはせず、弟子にも例えば毎日丁度いい湯加減にすることができたからと弟子を卒業させたという話もある。

 

人が治してやろう、治さなければ手遅れだというのは人間を弱くし、去勢する。病気になった原因を自分で究明すれば身体は自然に良くなる。

 

晴哉は施術でみている人の身体をとんでもなく長いスパンでみていた。その場で痛みが引いたから、1ヶ月は大丈夫だったなんていう短いスパンではなく、何年、何十年のスパンで経過をみていた。

 

技術に関しては人から習うとそれを越せないし、師匠の変な癖までもらってしまうということを語っている。

 

晴哉にとっては、10代に直感的に捉えた原理に基づき、人間の微細な心身の動きを読み取りその人がどうすれば本来持っている力を生かせるのかということが仕事の全てだったと思う。

 

ボディデザインラボ takeji