苦しみ、生きにくさ、既成概念②

労力がかかる程報酬が得られる

働かなければ社会に居場所はない

与えられたら返さなければならない

 

といったものを社会的既成概念とすれば、

 

見えるものだけが存在する

物質的世界だけが存在する

全てのことには原因があるという因果律

 

などは人類の意識全体に骨の髄まで染み込んだプログラム、集合意識的既成概念とでもいえるでしょう。

 

誰もが全てのことには原因があると思い物事を見ていれば、原因がなく生起する事態があった時に因果律の中で認識することになり、それを見逃してしまうことになります。

 

物質的世界にだけ意識を当てて生きていれば、物質的なものだけが認識対象になります。

 

こういった集合意識的既成概念はいつの間にかほとんどの人類に浸透したものですが、内実は社会的既成概念と同じです。老境に差し掛かったらこうであるべきだ、家族を持ったらこうしなければならないというのは、別にその時そうしなくてもいいわけです。全てのことについて、こうしなければこうはならないということは該当しないので、「こうしなければこうはならない」という他人の言明を受け入れるなら、それは他人のプログラムを生きることになります。

 

 

既成概念を変えるには、まずはこれは自分の既成概念だと認識し、意識的にそれを違う信念に置き換えて反復的に実践する必要があります。

 

例えば、日本では我慢が美徳である傾向がありますが、「我慢するようなことを一切しない」という信念を立ててそれに従い行動していけばその信念は身体に染み込み、自分のものになります。

 

色んなものに敏感すぎる人は、「自分に必要なものにだけ意識が反応する」という設定に基づき行動していると実際そうなってきます。

 

自分の信念が上手く働かず、逆に拘束帯になっていると、否応なしに信念を変えざるを得ない局面が来たりします。

 

また、自分の本来性、傾向と全く違うような信念を設定していると反動が生じるということもありますね。

 

生来の傾向性というのは3歳くらいまでに決まってしまうので、極端に内向的な人が本質的に外交的になるというのは難しいと思います。

 

自分の持った傾向の中でやりやすい信念に微調整するということなら誰でも可能です。

 

 

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