死んだ後

自分が死んだ後も残る業績を残したい

 

と考える人の嗜好は、歴史的建造物に相合傘を書くような中学生の嗜好とほぼ一緒だと感じるのですが、本を読んでいても出くわすことが多いですね。

 

 

自分が死んだ後数十年人に覚えられていても、数千年数万年後に人類はもうどこにもいないかもしれないし、そもそもがぼくは自分の死んだ後のことなんか知らないという感覚があります。

 

 

死んだ後にも自分がいなくなった世界はそのまま継続するのかわからないし、自分がいなくなった世界というのは局面が全く違っているかもしれないし、死んだ後の世界を今現在の自我で考えることがナンセンスだと思っています。

 

 

魂の不死ということを主張する場合、魂が何かヒュルっとしたカタチを持ったものだと考える人が多いと思うんですが、それはカタチのないものをカタチあるもので類推してみたものだと思います。

 

 

新プラトン主義的な神秘主義やスピリチュアルでは、魂が肉体から離れると天に昇って、分裂以前の元の魂のグループに戻る?と考えている人が多いと思います。

 

 

ぼくは、この魂というものは肉体を動かす原動力のようなもので、肉体から離れてしばらくするとガスのように散るものと考えています。

 

 

そうすると魂で転生して繰り返すと考える必要はなくなりますが、感覚的には輪廻転生というのがなくなるとちょっと寂しいですね(笑)

 

 

ぼくは、この魂というものよりも、色んな人が生きた記憶が保存されているデータバンク(アカシックレコード?)があればいいかなと最近は思います。

 

 

人の強い想念は場に記憶されたりするもので、こういった情報のカスのようなものも感じるくらい情報に敏感な人がいて、このカスを霊と言ったりしていると考えていますが、後の世に残る業績を残したいという未練たらたらな人は、普段から空間に濃厚な情報を保存して生きているのかもしれません。

 

 

ボディデザインラボ takeji