幽体離脱してテレポテーションする

その大きな公園には5つの大きい木があり、それぞれの中はダンジョンのようになっています。

 

そのうちの一つは神木に繋がるパスコードが眠っていて、ぼくは既に神木に到り、飛躍的に能力を開花させた人からどの木にパスコードが眠っているかを偶然聞き出し、パスコードを入手し、神木に到ります。

 

神木に到ったぼくは忘れていた力を全て思い出し、好きな時にアストラルプロジェクション(幽体を肉体から分離させる)ことをして知り合いに会いにいきます。

 

幽体だけが分離した時の感覚は、例えば壁を抜ける時はそこに何かがあるなという程度で抵抗力を感じますが、肉体ほど自分のからだをスムーズにコントロールできるわけではありません。

 

幽体の状態で会いにいったらわかるだろうかという人何人かに会いに行ってみました。

 

夜でしたが、そのうち何人かは

「あったかい風が吹いている」

「何か部屋にいる、霊かな?」

「何か気配がする」

と反応していました。

 

幽体はふわふわして操作しづらいところがあるので、分離した幽体を肉体化させようと思い肉体化させました。

 

肉体化したいと強い意志を発したら周りを厚い風にコーティングされるようにして、幽体から肉体に形をとり始めました。

 

肉体をとったぼくは、機能は幽体なので好きな所に意図的に移動することができます。

 

テレポテーションする人たちはこうやってするのかと強く感じました。

 

試しに最近会っていない知り合いの所にテレポテーションしたら、ぼくが急に目の前に現れたのでひどく驚いていました。今は手品師をやっているのかと言われました(笑)

 

誰かを念じてテレポテーションする場合は、ちょっと現れる距離を考えてやらなければないですね。

 

 

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江戸のエクソシスト

https://www.amazon.co.jp/新編-江戸の悪霊祓い師-エクソシスト-ちくま学芸文庫-高田/dp/448008164X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1539747551&sr=1-2&keywords=江戸%E3%80%80悪霊

 

 

今日の稽古では手鏡の感覚が変わった。

 

先生も「ちょっと良くなったね」と仰っていたが、完成にはまだまだ遠い。

 

今日掴んだ感覚は、「あ、こういうことか」ということだったけど、元々感覚受信能力、刺激分析能力、感覚コピー能力の高い人なら最初から掴んでしまうかもしれない。

 

 

添え手と、落とす感覚ではなくて相手を落とさせるような感覚。

 

 

語学のセンスが最初から飛び抜けてある人がいるように、感覚を掴むことに長けている人はいて、そういう人は武術の技もひょいひょいっとできてしまう。

 

 

治療系のセミナーでは技術を教えるセミナーがほとんどだけども、道場のように毎日技を磨き続けるという所は少ない。技術を覚えるよりも、感覚に関わる力を上げる方ができることが増える。

 

 

大抵の施術師は技術を得たいから、セミナー主催側もニーズに応えるように、世間には技術セミナーが溢れている。

 

 

道場の感覚に近いのは、最初通っていた間接法系統のオステオパシー教室で、生徒が調整した後に先生が確認して「うーんまだまだ」とかやっていた。

 

 

技術だけ増えてもできるわけではないから、毎日感覚を磨いていくような場所が不可欠で、自分の場合は稽古がその役割を果たしている。

 

 

感覚に関する力を飛躍的に上げるには、この本に出てくる祐天上人のように成田山で37日間の断食修行でもやればいいかもしれない(笑)

 

 

昔から何かの創始者や聖人は断食や不眠で神憑りして一派を築くということをしている。

 

 

祐天上人は小さい頃何をやっても人並み以下で、一念発起して断食修行に臨む。

 

 

その結果江戸最強の悪霊祓い師になり、浄土宗派のトップになったとのこと。

 

 

断食、不眠を何日も続けると精神がおかしくなるから神憑りにはなりやすいかもしれないけど、どちらかというと廃人になる方が多いんじゃないかという気もする。一派を築き上げて有名になった人は、駆け出しの頃断食、不眠をやったんだという話にはなるけど、一宗派を築いた人の多くがそれをやっているわけでもないから、記録に残っていない廃人、死人の方が多いかも、、

 

 

LSDでも37日間やった方が教祖にはなる可能性が高いかもしれない(笑)

 

 

変性意識にはいればいいわけなので、祝詞をあげ続けるとか何かを見続けるとか、何でもいいと思いますが、断食、不眠は一番効果が出やすいんでしょうね。

 

 

江戸時代は今でいうイタコのような神降ろしをする人たちは「ヨリ」「ヨリヒキ」などと言ったようで、大抵の共同体にはいたらしく、現代と同じように詐欺的なものもあったとのこと。

 

 

日本の民間巫者や韓国のムダンの多くが、別離やショックなどで精神的なダメージを受けることで変性意識になり、意識の別チャンネルができてこういったことを始める人が多いので、実はほとんどの場合がよくないものとチャンネルが合っているんじゃないかと思っていますが、、世襲で続いているところには方法論が体系化されていて、降ろす時の注意点や対処法、要訣があると思うのでそういったものには興味ありますね。

 

 

江戸時代の悪霊祓いのシーンが書かれていて、面白いのは人に取り憑いた祟る悪霊が、原因になった人間の懺悔や出家では祓われず、共同体で祭り上げたり鎮魂することで鎮まるということ。

 

 

祭り上げておさまったかというとまたしばらくすると出てきて、今度は石碑を造れとか要求してくる、、

 

 

共同体で祀る、鎮めるというのはどの文化でも重要視されていますね。

 

 

日本では共同体観が従来とは変わっているので、こういった事例が減ったのか、意外に多いのか、、

 

 

うちにはたまに施術していると高速で逆エビ反りを始めたり、呻き始める人がいて、現象としては神経系の反応と解していますが、これらは従来は共同体で祓う対象なのかもしれませんね。

 

 

神社に祀られている存在というのは元々祟る存在だったから祀るようになったという存在もいて、定期的に鎮めるために祭りを行なっているというところもあるでしょう。

 

 

封じられていることすら忘れられている存在もあるでしょうね。

 

 

 

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活と殺

https://www.amazon.co.jp/月刊-秘伝-2018年-10月号/dp/B07G26SR37/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1539056010&sr=8-1&keywords=秘伝

 

 

今月号の秘伝は合気術の特集。

 

 

同じ流派の松村師範が登場。医者の先生でもあります。

 

 

松村師範が免許皆伝になるのは凄く早かったとのこと。技の切れも素晴らしいものがあり、手鏡をかけられると別の技のようだったとか(門下生談)。

 

 

光道総師範の錦戸先生は、入門技1本目の横面打ちをひたすら練習させたという話が載っていて、これは光道のコンセプト「脱力ではなく気の体を作るための感覚を養成する」という目的のため。

 

 

実際、大崎先生にその話を聞くと、錦戸先生の最初の弟子は横面打ちだけを3年間やった。錦戸先生の初期の弟子は色んな武術の高段者ばかりだったが、お互いに1本目が全然かからないから、正座だけが上手くなったという笑い話のようなものも、、

 

 

大東流光道の入門技は難しいものが多く、自分は1本目と3本目が誰にでも同じようにかかるまでは次に行けないなと思いながら稽古していて、特に3本目の手鏡は入門技にしてはえらく難しい。

 

 

光道の技はどれも関節をキメたりせず、上げてただ落とすというもので、軸の感覚が強く養成させられる。

 

1本目 横面打ち(錦戸先生のお弟子さんの道場)

 

 

3本目手鏡

 

 

1本目なども、腰から崩す、膝から持っていく、連動させて落とすなどというように技に応用、変化が効いていくのだと思う。

 

 

以前ストレッチの店で働いていたことがありますが、ストレッチでも

①対象の組織の伸ばし方を工夫(角度や圧や意識など)

②コンタクトした組織から連動させて調整していく

③コンタクトした組織から筋膜を使い違う系(神経、内臓、靭帯、脊柱や頭蓋など)に入り連動してリリース

④傾聴などで拘縮した組織にコンタクトし、病変を読み取り、病変をつくっている原因を探り、問題にフォーカスしてリリース

 

 

などの過程を踏みました。受けている方はもはやストレッチとは感じていなかったかもしれませんが、外から見ていて同じでも内実が変化していきますね。

 

 

②以上の段階になると、一通り可動検査をして1箇所コンタクトしてリリースするだけで全ての可動検査が変わったりするので、弱い力でも1箇所しかコンタクトしなくても満足してくれたりしました。ストレッチの店は時間制でしたが、実質的な調整は最初の1、2手で終わっていたりということもありました。

 

 

 

経験が長い門下生も師範の先生も、基本技が変わり続けると言います。

 

 

これは身体自体が変化したり、効率のいい体捌きを体得したりするからですね。活法も殺法も身体が変わり続けることで変わり続けるので、施術でも最近施術スタイルに変化が少ないなと感じた時はちょっとやばいと思うようにしています。

 

 

 

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試み

少し前にメルマガ登録者数が100名を超えました。

 

 

感謝を込めて10月28日の施術枠は全て無料にしようと思います。

 

 

一枠30分で10名限定です。

 

 

施術以外で稼ぐことができれば施術は完全にドネーションにしたいという構想もあるのですが、それは奇跡を起こすような力を授かった場合ですね(笑)

 

 

今まで力を授かった方たちというのは奉仕でやっている方もいたでしょうが、ぼくの施術は摂理の痕跡を解読するようなもので、創造者の力で奇跡を起こすという段階ではありません。

 

 

ただでさえ予約が埋まる土日ですが、早いもの勝ちです。

 

 

特に最近来ていない方や来たことがない方は大歓迎です。

 

 

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夢の雑感

急にある人が夢に出てきて暗示的なことを話していた

 

 

なんていう夢の内容は自分の場合はあまりみたことがなく、大抵夢を見る前にちらっとでも考えたり思い浮かんだことに関係した人が出てくる場合が多く、それは前の日、その前の日、数日前に考えたり思い浮かべたりしたということが多い。

 

 

普段生活していて、特定の人の顔がバーンと入ってきたり、特定の人のイメージに特定の感情が絡んで入ってくる時は、その人から何かしらの信号を送られていることが多い。そろそろ会おうよ、とかそろそろ施術してくれ、とか。感じないふりをしていると連絡が来る(笑)

 

 

最近特定の人を考えるといいイメージが出てこないなと思った時は、その相手が自分に対してのイメージが変わり、それに対して反応している場合もあり、あるいはその人の状態があまりよくないということもある。

 

 

誰かに会おうとした時、会う前になってあまり気が進まないなという時は相手の状態が良くなかったり、会うタイミングの条件に何か足りないものがあったりする。相手が自分と比べて疲れすぎているとか、エネルギー的に一方的な関係過ぎるとか。

 

 

逆に会いたくて仕様がないという時はお互いの会うタイミングとしてはバッチリで、お互いの情報のやり取りがプラスに働くことが多い。

 

 

すごく懐かしい感じがして、ずっと浸っていたいという夢はしばらくみていない。過去に夢の中でしか会ったことがない人が3人いて、現実の世界で会った人の中でその3人に会った時の感覚に近いものをかすかに感じたことはある。

 

 

 

それらの人たちは現実界で会うことになるだろうか。何かの象徴なのか。潜在意識の探求者は、自分の夢もコントロールする。ぼくはよく人の夢に出てきて施術したり何かするらしい。ぼくも夢で施術してもらったことがあり、起きて自分の身体をチェックすると頚椎の状態がいいということがあった。夢の中で施術を受けたという人たちは実際に何かしら体感があったとか。解放のシンボルとしてぼくが使われたということでしょうか。

 

 

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土地、家相

うちの事務所の隣にできたビーガン料理屋(前コーヒー屋だった所)オススメですよ。大豆ミートばかり食べていますが、、

 

 

事務所メンバーの、最近◯風をやってしまった奥出さんが感動して食べていました。大豆ミート初めて食べたようです。

 

 

事務所がある4丁目の商店街は結構入れ替わりが早い方です。自由通りの方にあったITTAカフェはデカフェが飲めたんですが横浜の方に移転してしまいましたし(自宅があるらしい)、話に行くたまり場のような所が減るのは寂しいですね。隣のコーヒー屋では数時間延々話し続けていることが多かったです。マスターが変人でした。こちらは町田の郊外に引っ込みました。

 

 

奥沢界隈は5丁目が一番よく、奥沢という場自体奥沢神社が一つの中心になっているということもあると思います。5丁目は奥沢神社と隣り合っています。

 

 

奥沢、九品仏、等々力にかけて被差別集落が点在していたということもあるかもしれませんが(浅草方面よりずーっと古い部落)、大名屋敷などはやはりいい場所を選んで建てるということからわかるように、よくない場所も結構あり、自由が丘から九品仏に向かって歩いているとからだがグニャーっと歪んでしまう場所など点在し、うちの利用者の等々力在住の方はご近所さんが次々亡くなっていて、旦那さんはてんかんの発作を起こすようになったようですが、本人は等々力は合っているから大丈夫とのことでした。

 

 

奥沢も実は事務所の向かい側の地帯は昔から不動産的にはちょっと落ちるという場所のようです。割と昔からの地元の方は知っているようなので、そういった意識も絡んでいるかもしれませんが、、

 

 

歩いていて、この辺の地帯の人はこういった不調になりやすいだろうなというのがあるのですが、共通しているのは空気の循環が悪いのと水が汚そうということです。

 

 

ぼくは水の同調なども使いますが、人間は体液があり、からだの60パーセント以上は水で、更に人間は外的環境に対し常にリアクションをとっていて、外的環境に対して無意識に同調する側面があります。

 

 

なので水のきれいな所に住んでいた方がからだにとってはいいと思いますね。

 

 

例えば肝臓の疲労を対象化してカテゴリーを特定し、帰属→場所→自宅と出て、水という反応が出る場合はありますが、水が汚いという反応や淀んでいるという反応、下水の問題などが該当することがあります。

 

 

沖縄にはカミングヮという人たちがいて、身体と家相を対応して診る風水師のような存在ですが、病院で原因がわからない病気の方などが行くようです。そこで「排水管が出すぎているから切れば治る」と言われてその通りにしたら皮膚病が治ったとか、トイレの位置を変えたら眼の病気が治ったとか、家の重要性を思い知らされる存在ですね。

 

 

https://www.amazon.co.jp/カミングヮ―家族を癒す沖縄の正しい家相-長嶺-伊佐雄/dp/4938923734/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1538568972&sr=8-1&keywords=カミングヮ

 

 

奥沢5丁目に丁度いい物件があってタイミングが合えば移転したいと思いますね。今の事務所気に入っていますが、床が若干傾いているのとエレベーターがない所が改善点ですかね。あとベランダが欲しい!

 

 

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支配空間、マインドセット

色んなセミナーに出ると感じることですが、講師が「これは誰だってできる」というマインドセットでセミナーをするのと、「これはそう簡単にはできない、ほとんどの人にはできない」というマインドセットでセミナーをするのでは参加者の出来が全く変わってきます。

 

 

「誰だってできるよこんなこと」というマインドセットで場がコントロールされていれば参加者の潜在意識はそれに触発され、普段うまくできないような人でも容易にできてしまうのですが、これは補助輪のような作用であり、セミナーにわざわざ参加する場合はこう言った作用があった方が望ましいと思います。

 

 

それが、主催者が「誰もできていない、まだまだだ」というマインドセットをしていると、普段できていない人がますますできない、どころか普段できている人ができないという事態が発生したりします。

 

 

セミナーに参加する人は習いに行くのである意味無防備で、主催者はその場の支配者なので色々できるのは当然と言っていいくらいなのですが、そういったカラクリがよくわかっていない参加者は純粋に「すごい、自分はまだまだだ。周りもまだまだだ。」と設定してしまうわけです。

 

 

上手いセミナー主催者というのは、全体のレベルをある一定まで上げてしまうということができるのですが、下手な主催者はできない人をできないままにする、あるいはもっとできない状態にしてしまうということがあります。

 

 

挙げ句の果てには「これは(主催者の)先生にしかできないんだ」という風にマインドセットしてしまいますが、そうすると「崇める対象を超えることはできない」法則により、その対象を一生超えることはできなくなります。

 

 

これは宗教やビジネスモデルとしてはあるのかもしれませんが、どうせお金を払うなら自分の進歩が感じられる方がいいでしょう。

 

 

数年参加してみて自分の進歩が全く感じられないという講習や学校であればそれは辞めた方がいいでしょう。何故進歩が感じられないかというと、基準が曖昧で、基準を講師の先生しか持っていないということもあるからです。

 

 

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知性不要

インターネットが登場して、グーグルで何でも調べられるようになってからは、知識の量が多いということの価値は、以前よりもグンと下がりました。

 

 

情報の量よりは質が重要になり、情報を駆使する論理性や世界観の方が重要になりました。

 

 

そもそもが本をたくさん読むということは一般的にいいこととされていますが、食事などの動物的感覚刺激が知識に向いたに過ぎず、構造的には全く同じということもできます。

 

 

沢山本を読むということは、本質的には沢山レストランを食べ歩く、沢山の異性と交流するということと変わらないということです。

 

 

西洋の思想は知性がヒトの持つ至高のもので、これによって他の動物と区別されるという規定をしてきましたが、知性はヒトが独自的に持つ動物的欲求ということもできます。

 

 

お金、学問、名誉、成功、、これらは人類が作り上げてきた一つの妄想の信念体系、プログラムということができます。

 

 

これらの妄想を人類は必死で積み上げてきましたが、全く進歩していないといえます。

 

 

全ての第一歩は、自然の動き、宇宙の意志とでもいうようなものを感じ取り、それとやりとりしていくことですが、今の人類全体がその段階になるのはまだまだ先か、未踏に留まるかもしれません。

 

 

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学習ではなく想起、修得ではなく憑依?

「どれ程の舞踏の天才がいても、彼らは神殿の奥で、主体をなくしてトランスする少女の踊りに、その霊気において敵わない」

 

 

結構前、舞踏、踊りを突き詰めると技巧ではない、とわかった途端に、身体操作の追究は武術でやればいいと思い、自分が舞踏、踊りをやることに関してはいさぎよく興味がなくなってしまった。それ以来、アニメーションダンスなど見る時以外は、踊りを見る時の基準が「如何に憑依されているか」になってしまった(笑)

 

 

バリでは少女たちを狭い空間に集め、特殊な香を焚きその反応を見てサンヒャン(神憑きになる少女)を選び出すという。サンヒャンに選ばれた2人の少女は、踊りは一切習わないにも関わらず目を瞑りながら2人共同じ動きをして舞っていく。神憑きになった時の電撃的な動作「チャ」がケチャの元になっているとか。

 

 

舞踏も治療も、起源が魔術だといえる。

 

 

舞踏の起源は世界的に見て間違いなく神憑きで、治療も神の力を借りたイエスの治癒、王権神授説時代の欧米では「ロイヤルタッチ」、明治天皇の心霊治療、キプロスのダスカロスの憑依によるヒーリング、常に神と繋がっていたアナンダモイマーは神に頼むだけで盲目の人を治癒した。一方で、人間の作為的な次元による治療は人間的な効果しか出ない。

 

 

治療も、舞踏と同じくいかに技巧的な治療師でも、神が憑依した素人の治癒に及ばないかもしれない。

 

 

個人的には脳波を意識的に変えるということをこの数ヶ月よくやっているが、脳波を神の脳波にチューニングされた時、素晴らしいことが起こると密かに思っている。元々トランスしやすい方なので、たまに自分でどうやったのかわからないということはある。

 

 

常に狂った部分は残しておかねばなりませんね!

 

 

 

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精霊の在り方

不可視なものは常に背後で可視的なものを支えています。

 

 

空気中に含まれる人間の生命活動に必要なものが存在しなければ人間は数分で絶命します、

 

 

あらゆる生命を支え、動かしているものが存在すると思いますが、それはスピリット、魂と言えるでしょう。そしてそれを他のものと媒介し、動かしているものは精霊ではないかと感じでいます。

 

 

帰国してから、精霊を召喚して施術してもらったり、受け手の精霊の働きを上げたり、精霊の繋がりを強めたりして身体がどう変化するかということを見ていますが、中には劇的に変化する方もいて、精霊が弱化するとどうなるのかということもわかってきました。

 

 

精霊力とでもいえるようなものが存在すると思います、内なる精霊との繋がりが強く、精霊が働いてくれている人というのは土地や自然の精霊とも繋がりやすいので、生活で動きや出会いが多いということがあるでしょう。

 

 

自然や精霊に感謝して生きることが個々人を強め、共同体を強め、活性化させるということが昔から考えられてきたと思います。

 

 

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