鍛練あるのみ

ある程度人のからだを扱う技術がついたら、からだの土台造りに集中するといいと思います。

 

からだを扱う仕事は感覚や身体操作が重要になるので、感覚や身体操作を磨く鍛練がかかせなくなります。

 

長年筋力を使う施術をしてきた術者よりも、感覚や身体の使い方の上手い初心者の方が修得が容易で上達が早いことが多いのは、そういったところがポイントでしょう。

 

最初から感覚や身体操作が上手い人にとっては、どんな技術も容易に吸収できるので、手ががちがちのマッサージ師が10年でものにする感覚を数日でものにするということは普通にあると感じています。

 

例えば、最初から大東流柔術の技術である合気や、陳式太極拳の纏糸勁の感覚を持っている武術家にとってはどんな手技療法も簡単に修得できると思います。

 

技術的な面だけでなく、臨床で必要な受け手との間の感覚や気配、心の動きを読み取る感覚も武術家であれば最初から持っています。

 

臨床を生業にしている場合、武術的な鍛練法は必須といえるでしょう。

 

野口晴哉が凄かったのは野口整体ではなくて、霊術者などに師事しつつ10代20代で臨床の土台になる鍛練を徹底していた為だとみています。

 

だから、野口晴哉並に感覚や身体操作が出来ているなら、どんな技術を使っても結果は出せるでしょう。

 

どんな技術でも、術者が消耗しないものがいいですね。

 

野口晴哉が早死にだったのは野口整体の技術に欠陥があったのではという話はよく挙がりますが、単純に患者を診すぎていたんだと思ってます。