見えない世界を見ないでいい理由

気、波動などいわゆるエネルギー療法はこの仕事を始める前からやっていたことで、施術の仕事もこの領域の探求と共に開始しました。

 

 

この領域を一通りやってみてわかったことは、これらのものは要領が悪いし難治性のもの(難病や後遺症)を扱うには全く充分ではないということでした。だからといってカイロプラクティックやオステオパシーその他の手技で充分とも思いません。オステオパシーは手技としてかなり完成されてはいると思いますが、解剖学という世界にかなり依存しています。今は、その形は借りていますが、全く違うルールを使っています。精神療法なども気の遠くなる時間がかかってしまいます。

 

 

核心に迫っているものほどシンプルなものです。

 

 

手順が煩雑なものほど核心から遠ざかります。

 

 

ずっと、波動やエネルギーという手垢のついたターム、世界観ではなく、もっと道理に適っていている効率のいいものがないかと探求していました。

 

 

波動の世界でありがちなのは、「根本原因の解決」ですが、そもそも根本原因というものはあり得ません。

 

 

これは人間が発明したフィクションのようなものです。

 

 

宇宙の始まりはビッグバンだとして、その前には何があったの?という問いが即座に立てられてしまうことと同じことです。

 

 

腰痛の原因が神経にいるヘルペスウイルスで、ヘルペスルウイルスがいるのはある免疫系が弱っているからで、ある免疫系が弱っているのはある遺伝子形質の影響で。。

 

 

これは医学に即しているようで、完全にフィクションの世界になります。

 

 

医学が依拠する、解剖学、生理学自体、身体を修復する手伝いをする上では全く関係がないといえば、多くのセラピストは驚くでしょう。

 

 

波動を扱っている術者は「観察者効果」を主張するのに、無数の原因を主張する自分が、それらの因果に絡みとられたバイアスのある観察を行なっていることに気付きません。本当に気付かないくらい思い込みが強いか、半ばわかりながら確信犯的に行なっているということもあるでしょう。

 

 

つまり、術者の「思い込み」によって身体を解放するには、ヘルペスウイルスでも添加物でもなんとかヒーリングでもマッサージでもなんでもいいのです。

 

 

術者が完全に二ュートラルな立場で身体に向かい合うならば、こういった複雑な世界観から自由でいる必要があります。

 

 

ニュートラルな立場で身体に向かい合うには、余計なものが見える必要も全くないし、特殊なエネルギー、宇宙のエネルギーが使えるという必要もありません。

 

 

こういった「~のエネルギー」というタームは、セラピストの世界でも無批判に使われることもあり、自分自身こういった世界から脱却するには時間がかかりました。

 

 

こういった世界のことを一つ一つ吟味することで少しずつ脱却することができましたが、脱却することができた一番の要因はそういったものの入るこむ余地がない位洗練された世界との出会いでした。

 

 

これは、自分で探求するにはかなり困難だったと思います。

 

 

自分で、こんな感じのものがないかな~という大まかなイメージのものがあったんですが、遭遇したものは想像以上に洗練され、道理のあるもので、体系化されていました。

 

 

今なら、何故いわゆる「エネルギー療法」だとか「浄霊、除霊」だとかいうものが効果が出るのか、逆に何故出ないのかがある程度わかります。

 

 

「〜エネルギー」で満足している人はいいですが、ぼくはこの領域を探求しながら限界を意識していました。限界を突破するには鍛錬しかないと思っていましたが、まず初めのボタンのかけ間違えがあったわけです。

 

 

「〜エネルギー」「〜波動療法」で問題ない人は、そういった世界観が合っていて、そういった役割の人なんでしょう。

 

 

ぼく自身は、もっと自然の実相に迫ったところで動きたいと思ってきました。

 

 

 

今動いている所が一番自然の実相に迫った所だと思っています。