科学という神話

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) 新書 – 2006/2/16

本の内容

 

地震の原因はプレートのずれではなく微生物?地球温暖化の原因は二酸化炭素ではない?

 

科学的根拠というものは仮説にすぎないため、常に覆される可能性を持つ。

 

 

ガリレオが天体望遠鏡を創った際は、遠くのものが拡大して見えることに当時の学者たちは大絶賛した。それが、月のクレーターが拡大して見えると、

 

 

「完全なる神が創った天界のものにこんなぼこぼこがあるはずない」

 

 

と一気に否定。当時の思い込み、学者の主観でガリレオの画期的な発明は理解されなかった。

 

 

我々の常識だと思っているものは常に覆される可能性があり、そのことを自覚している人を「科学的」ということができるでしょう。そうすると、自分の常識が揺るがないと思っている人は迷信的で「非科学的」といえるかもしれません。

 

 

ガリレオが出したデータは、当時の科学者たちの仮説を覆すには早過ぎたということもあります。当時のヨーロッパでは、天界は完ぺきな整合性を持つというのは疑う余地のないことだったことでしょう。

 

 

ガリレオの出したデータは、当時の科学者の仮説を覆すことはできませんでした。

 

 

帰納的に、新しいデータが仮説を覆すとは限らないということです。

 

 

仮説を覆すことができるのは、古い仮説の存在を認識し、それに対する新しい仮説を立てることができる人だけです。

 

 

科学というものをしっかり定義付けすることができたのはカール・ポパーです。

 

 

ポパーの定義は科学者にとても歓迎されたといいます。それは科学と魔術、神話を明確に分ける定義だからです。

 

ポパーは、

 

「科学は反証可能性を持つ」

 

 

ということを言いました。

 

 

1000回実験して、999回までは理論を証明できる実験データが出ても、1000回目でそれを覆すデータが出るなら、その理論は証明されないということです。

 

 

つまり、反証するデータが出たらその理論が機能しないということを認めるのが科学者だということをことですね。

 

 

宗教で、神の存在を主張する人が、

 

「神は常に我々を見守って助けてくれている」

 

という命題を掲げて、その後にその人の家族が次々死んで、本人も重篤な病にかかっても、宗教なので次々解釈を変えれば機能していきます。

 

 

「神は試練を与える時もある」「神の思惑を人が知ることはできない」とか。

 

 

迷信的ではなく科学的に生きている人というのは、

 

「みんな同じことを言っているけど本当にそうなのか」

「不倫や殺人はどうして悪いとされるのか」

「この世界は誰かの空想ではないとどうしていえるか」

 

ということを疑問に持っていたり、常に新しい眼を提供してくれる人だと思っています。

 

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