我から自然(神)への一瞬の移行

何事もそうかも知れませんが、特定の仕組みに詳しくなろうとしてその枠組みにはまり込み出られなくなってしまうということがあると思います。

 

 

施術では、解剖学、生理学について細かく詳しく知ることは大事ですが、解剖学や生理学についていくら詳しく知ったとしても、身体を楽にする仕組みは別にあったりすると今では痛感します。

 

 

解剖学や生理学について知った後、それに囚われずに全て棄ててしまうという作業が必要だと思います。

 

 

腰痛に対する対処でも、直接腰椎を動かす、周辺組織を緩めるといった原始的な発想から、離れているが関係のある内臓や関節から腰を連動させるという発想、全身の気血を促すといった気功やヒーリング、鍼などの発想、組織制限の原因を読み、情報を書き換えるという波動的な発想、様々あると思いますし、それらは自分が辿ってきたものでもあります。

 

 

中国医学などはいい例だと思いますが、複雑化することで人間の世界が生まれ、世界の実相からは離れることになります。

 

 

もっとシンプルな方法はあるんだろうなと思いながら、色々それらしいことも自分で試してみました。後一歩で自力で掴めたかも知れませんが、宇宙のシンプルな摂理を掴むには人間的だったかも知れません。そして、身体を楽にするシンプルな摂理は、整体や気功やカイロやオステといった所と別の所に、眼の眩むくらい無数にあるのです。自分は今まで「ぼーっと生きてきた」かも知れません。

 

 

解剖学や生理学、エネルギー医学的仕組みを学ぶということも人間的なことです。大抵、臨床のベテランでもイメージを使うところに落ち着きますが、イメージは人間の持ち得る最大の武器になるからです。

 

 

ただ、人間の身体を問答無用で瞬間的に、原因など関係なく変化させるにはイメージ、ヴィジュアライズという人間的なものではちょっと心もとない感じです。

 

 

それをなし得るには、人間的なものが介在しない、完全に自然的な過程、噛み合わせる(神遭わせる)という作業が必要になり、それが本来の治癒ということになります。

 

 

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