「思念がこの世界の現象から法則までも規定する」
という命題は、中々実証することが難しい、科学の世界では前~実証的なものといえると思いますが、個人的にこの命題が機能するということは盲目的な信仰のように扱っています。
この命題が明証的だという人たちは、観察者の認識がバイアスになり対象は変異する、認識を離れた対象そのものは存在しないし想定するのも無意味だということに論拠を求めると思います。
観察者の認識が加わらない時は原子は波の形態で、認識が加わった途端に粒子の形態をとるという量子力学の仮説は、波動の世界でよく引き合いに出されますが、波動療法というのは観察者(療術師)の世界観や信念と、世界で実際に機能している仕組みがそれぞれ変数になって働くものと思っています。
「身体の不調のほとんどは精神からくる」
「身体の不調は毒素を排毒することで改善される」
という主張は、世界で実際に機能している仕組みに、観察者(療術師)の世界観や信念がバイアスとして働くことで出てくるものだと思います。
観察者(療術師)が人間である以上、経験や教育からくる思い込みというのはゼロにすることは不可能だし、ゼロにする想定はそもそも無意味ということができるかもしれません。
それぞれの観察者が自分に親和性のある世界観、やりやすい方法を採用することで、心身の制限を解放する力は強化されるでしょう。
波動の世界は、世界で機能している仕組みの上に、術者の確信の力が乗せられた形で機能するものだという実感です。
脳の淡蒼球で不調の大部分は消せるという人もいれば、精神が調和することで不調が消えるという人もいます。
術者の思い込みがいき過ぎると機能しなくなったり、術者は自分の身体をすり減らすことになるようですが、世界で現状機能している仕組みから離れすぎなければ、バランスのとれた状態で機能するものだというのが個人的な仮説です。
ボディデザインラボ takeji