「ああしておけばよかったんだよ」
「あっちを選んでおけばよかったんだよ」
こういった言説は不毛だと感じるんですが、何を食べるとかどこに行くとか、誰に会うとか、人は常に無数の選択を選んでいて、その時の気分やコンディション、タイミングがあり、色んな要因が選択を決めるものだと思います。その選択しか選ぶことができなかったと言うこともできるでしょう。
ぼくは、どんな選択でもその決断をした時の自分に対して尊敬を持ちたいので、それに対して上のような言葉を言われると、代わりに生きる責任があるのかと聞きたくなりますが、誰もそんな責任を持ちようがありません。人ごとだと思っていないと言えない言葉でしょう。
上の言葉は全く創造性がない言葉ですが、
「何がその選択をさせたのか」
「何でその決断をせざるをえなかったのか」
と言う問いはもう少し創造性があると思います。
例えば、仕事では自分で事業を始めるということは割と大きい選択だと思いますが、何がその選択をさせたのか考えると色々な回答が出てくるでしょう。
個人で始めなければ提供できないサービスが沢山あった
自分なりに熟達を感じるから、自分がどこまでできるか試してみたい
金銭的な自由度が必要になった
雇用されていることが性に合わない
などなど、ちなみにぼくの場合は上記全て当てはまりますが、、個人でわざわざ始めるには大抵の人が当てはまるかもしれません。
人は、全てにおいてそうせざるを得ない決断をして生きている
とよく感じます。
それ以外の選択を選ぶ余地はなかったから、その選択をした。
その選択をすることで、色んな学習をして、新しい自分を創出し続ける
何であの時あの選択をしたのか、、
と考えることはたまにありますが、後からはいくらでも解釈可能で、その決断をした時の状況、コンディション、条件が既に全く違うので、結局
「その時はそうせざるを得ない何かがあった」
ということしかできないと思います。
選んだこと自体には、成功も失敗もなく、その選択からどんな経験が得られたのか考えれば、ラーメンでもカレーライスでも大差ないでしょう。
ボディデザインラボ通信 takeji