邪道に入る施術師を少なからず見てきて、最近は身近なところで邪道に入った施術師がいたのと、テクニックを幾ら修得しても人が良くなるわけではないので、自分自身に技に走っているところはないか、信念を疎かにしていないか、技術以外を確認しているところです。
施術を生業にする場合、技に走りすぎたり信念がブレると施術の効果というのはテキメンに落ちます。
軸というのは肉体的な軸だけではなく、エネルギー的な軸や精神的な軸も存在すると普段感じていますが、施術師はこの軸で受け手の異常を読み取るので、この軸がぐらついたり傾いたりすると、施術効果が出ないどころか良くない影響を与えることもあります。
そのため、施術師は常に自分状態を確認する作業が必要で、そのためには見本とする施術の先生がいればいいですが、結局は人間なので、自然と対話して自然を介して自分を確認するような作業がいいと思います。あるいは、武術の先生に稽古をつけて頂くと心身共にチューニングされるので、施術師は武術の稽古をチューニングにするのがいいでしょう。元々施術師の多くは身体的な鍛錬をやっている人がやっていましたから。
会う人は皆師、と言うように、特定の人を見本とするよりも色んなものから学ぶ姿勢の方が自分に合っていると感じています。
人間は油断するとおかしなことになっているもので、凄い先生だなと思っていたらどうもおかしくなっていたということは今までもありました。邪道に少し入ったり、すれすれにいたり、どっぷり邪に染まったり、、経過していくものだと思いますが、邪に入りやすい資質というのもあるかもしれません。
施術の受け手というのは思っている以上に施術する側から色んな情報を受け取っていると思った方がいいでしょう。
術者が邪道に入ると、受け手の反応でわかると思いますが、傲慢や傲りがあるとそれも読み取れないようです。
ぼくも受け手は自分を映す鏡、自分に気付きを与えてくれる存在だと捉え直し、気を引き締めてやっていきたいと思います。
ボディデザインラボ takeji