(話題になっている本だが、文章が冗長で衒学趣味な傾向がある。主張を拾いたい場合は下巻の9章から読むことがオススメ)
生命科学は人間と他の動物を生化学的なやりとりをする装置とするような機械的なアルゴリズムに変換した。
つまり、ヒトもラットも同じように脳ニューロンの発火でやりとりする機械装置に還元された。
このことはコンピューターサイエンスにも影響を与え、アルゴリズムに還元されたことで確立した個人という概念は解体される方向に向かっている。
あなたのことをAIがあなた以上に知り尽くし、データに基づき明日、何を食べると身体にいいのか、自分に合っているパートナーは誰か、どんな職業につくべきかをシュミレートし始める時、あなたという情報体はコンピュータアルゴリズムに組み込まれることになり、自由な意志を失うという。
自由な意志をどこに想定するかという問題はある。
かつてB.リベットは、我々が「こうしよう」とする0.35秒前には既に脳に準備電位が現れるということを実験で明らかにしたが、一般に言われているように自由意志を否定しようとしたというよりは、個人的には自由意志の構造を明らかにしたという風にとっている。
マーケティングに促されて服や最新のスマートフォンを買うように促されて買うという状況に自由意志はあるのかどうかというと、あると考える。幾つかの選択肢から自分の意志で選択するということは自由意志の発現だと思う。
だが、仮にあなたのことをあなた以上に全て知り尽くしているAIがあらゆるパターン化されたシュミレートに基づきあなたに最善の選択を提示し、98パーセントこの相手がいいですよと言われた時、この状況であなたに自由意志があるかどうか。
これが問題になる。
そういった状況でもまだ自由意志があると言えるならそれは何か。
あなたのことを知り尽くしたAIはデータを元にあなたの欲望を形作り、差し向け、全ての行動がAIの動機づけによりされることになるかもしれない。
神学的な決定論者は、それは神のプログラムで全てが統制されている現状と変わらないと言うだろうか。
やがて、AIはあなたの利益を優先するために他のAIを操作し始め、AI同士の競争が始まるかもしれない。そして、AI同士が互いの主人の利益を調停するようなシステムを作り上げ、全ての人類がそのシステムから逸脱することは許されなくなるかもしれない。
続く?