学習ではなく想起、修得ではなく憑依?

「どれ程の舞踏の天才がいても、彼らは神殿の奥で、主体をなくしてトランスする少女の踊りに、その霊気において敵わない」

 

 

結構前、舞踏、踊りを突き詰めると技巧ではない、とわかった途端に、身体操作の追究は武術でやればいいと思い、自分が舞踏、踊りをやることに関してはいさぎよく興味がなくなってしまった。それ以来、アニメーションダンスなど見る時以外は、踊りを見る時の基準が「如何に憑依されているか」になってしまった(笑)

 

 

バリでは少女たちを狭い空間に集め、特殊な香を焚きその反応を見てサンヒャン(神憑きになる少女)を選び出すという。サンヒャンに選ばれた2人の少女は、踊りは一切習わないにも関わらず目を瞑りながら2人共同じ動きをして舞っていく。神憑きになった時の電撃的な動作「チャ」がケチャの元になっているとか。

 

 

舞踏も治療も、起源が魔術だといえる。

 

 

舞踏の起源は世界的に見て間違いなく神憑きで、治療も神の力を借りたイエスの治癒、王権神授説時代の欧米では「ロイヤルタッチ」、明治天皇の心霊治療、キプロスのダスカロスの憑依によるヒーリング、常に神と繋がっていたアナンダモイマーは神に頼むだけで盲目の人を治癒した。一方で、人間の作為的な次元による治療は人間的な効果しか出ない。

 

 

治療も、舞踏と同じくいかに技巧的な治療師でも、神が憑依した素人の治癒に及ばないかもしれない。

 

 

個人的には脳波を意識的に変えるということをこの数ヶ月よくやっているが、脳波を神の脳波にチューニングされた時、素晴らしいことが起こると密かに思っている。元々トランスしやすい方なので、たまに自分でどうやったのかわからないということはある。

 

 

常に狂った部分は残しておかねばなりませんね!

 

 

 

ボディデザインラボ takeji