聖なる木の下へ
阿部珠理
ネイティヴアメリカン、ラコタ族の言葉に「ミタクエオヤシン」というのがあり、これは「自分と繋がる全てのもの」という意味だそうです。
人間が中心ではなく、全ての動植物が平等に繋がっているという、自然と調和した、ラコタ族の「輪」の思想を表したもので、自然の創造主ワカンタンカの意志を読み取って生きるというのがラコタ族の理想の生き方とのこと。
こんなレベルの高い世界観を持っているのがネイティヴアメリカンですから、「信仰の名のもとに先住民の地を開拓する正当性がある」という幼稚な考えばかりの入植者と上手くいくはずがありませんでした。
イギリスを追放された清教徒たちが入植してきて、ネイティヴアメリカンは彼らにトウモロコシやカボチャ、タバコの栽培、七面鳥などを伝えましたが、入植者たちは徐々にネイティヴアメリカンの土地を奪い、殺戮を繰り返しました。
祈祷師、呪術師などと訳されることもある「メディスンマン」は元々「ウィチャシャワカン」という言語で「聖なる人」を意味します。
「ワカン」は全てに宿る、人間の力を超えたエネルギーのようもので、日本の「カミ」という感覚に近いようです。
心因性の疾患を治す「ワピヤ」、紛失物など探す「ユイピ」など、メディスンマンの中にも種類があり、みな聖なるヴィジョンを視ることがきっかけです。
ヴィジョンをきっかけにシャーマンに覚醒するというのは、世界的によくみられる類型で、韓国やフィリピンは特にそういったタイプが大部分と聞きます。
沖縄のカミンチュ、ユタなども、憑いている霊がユタに関係するものでなければ、いくら修行してもカミンチュやユタにはなりきれないと聞きます。
メディスンマンの3日3晩の儀式で白血病が治ったり、メディスンマンの指定した川の水を飲み続けたら病院で見放された肺炎が完治したり、ヨーロッパにおける中流階級以上のかかりつけ精神科医のような役割ももっているようです。
「メディスンマンは聖人であってはいけない。普通の人間が人生で味わう浮き沈みを体験し、虫けらのように身を低くすることができ、ワシのように高く舞い上がることができなければならない。あばら家に住み、悪態をつき、卑猥な冗談にも興じる。白人の聖者のイメージとはかけ離れているが、そんなことはメディスンマンであることとはなんの関係もない。」
ぼくも、わかりやすい聖者のような、静謐な生活をしているシャーマンよりも、ぱっとみただのオヤジというようなシャーマンの方が力のある場合が多いと思っています。
一般の聖人像に沿ったシャーマンなんて、大衆の期待に応えているような、演技しているようなものでしょう。アル中寸前で、タバコもガンガン吸い、何でも食い、若い女が好きなシャーマンの力の方が間違いなくパワフルです(笑)
それでこそ「全てのものと繋がる」ことができるでしょう。「世間で良いとされるもの」とだけ繋がっていては創造者の力の半分も使えないでしょう。
ぼくも世間の基準にとらわれることなく高く飛翔する施術者でありたいですね。