こだわること、こだわらないことについて。
例えば、こだわりが強い、こだわりが弱いということをいうとき、職人であれば自分の仕事や技に対するこだわりの強度を強めて修行していった方がいい場面があるし、従来の方法に行き詰まってこだわりを捨てて全く違う方法をとった時に、動かなくなっていた経験の局面が一気に変わる場合がある。
最初から型にとらわれず、思うままに大成する人は元々身体感覚の優れた一部で(あるいは大成しないのは評価する方が型にはまっているからかもしれない)、その一部の人たちも大成する過程でその「型にとらわれない」身体の使い方を繰り返すことで型の形成をしている。当事者にはそんな意識はないにしても、動き続ける中で新しい動きの類型が出現し、誰か他者にそれを伝える際にそれは型として機能する。
「こだわりを持って」仕事していくうちに動きが出なくなり、経験を動かしたいときは「こだわりを捨てる」ことは積極的な意味を持つということ。
一般的に「あの人はこだわりが強い」とか「こだわりがない」という場合、「こだわりの強い人」は他者からみると生きづらそうだったり要領が悪そうに見えたりするけど、本人の中では強度の高い持続的な行為で経験の場を形成し続けていることもある。
逆に何をしても要領が良さそうでこだわりがないから色んな問題に局面せずに済んでいる人は、ある人からみると順風満帆で大きい問題に局面することもなく良さそうに見えるかもしれないし、別の人からは根無し草にしかみえないかもしれない。
個人的には、何事にもこだわりなくやっている人よりも、異常なこだわりを持って仕事や趣味をやっている人が興味深く映ることが多い。
仕事関係、関心分野ならこだわりが強い人、普段話したり会ったりするならこだわりの少ない人ですかね。
ボディデザインラボ takeji